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おやじらよ介護現場にイザ出陣!

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 新刊の講談社刊『それゆけ!おやじヘルパーズ』の内容を今日は紹介します。上のイラストは本書の裏表紙です。このイラストは秋田市でイラスト工房を運営しておられる松沢由樹子さんのものです。当初は我らオヤジの実物の写真をもとにイラストを書き起こしたいので、と写真を求められました。介護研究会=ビール賞味の会で撮ったものやヘルパー2級の学校を「卒業」したときの写真は手許にあったのですが、私(七兵衛)はあえて写真無しで書き起こしてくれるように頼みました。

 というのは東芝の「けあコミュニティで連載した当時のイラストも松沢さんの手になるものだったのですが、松沢さんはこのブログの原稿だけを手がかりに、我ら5人の“闘士”イヤイヤ“しょぼくれオヤジ”のイメージをふくらませて、実物のオヤジたちそっくりに書き上げてくれたのです。私はそのイラストを見てあまりにイメージがぴったりだったのでビックリしたものです。ですから今回も「けあコミュニティ」のイラストのバリエーションでお願いしたのでした。この本では我らオヤジたちは「大将・蟻ベエ・虎造さん・星さん・ムラちゃん」の呼称に変更になっていますが、私たちオヤジの実物は、上掲のイラストとソックリさんとお考えいただいて結構です。それほど似ています。松沢さんにはHPを拝見しただけでお目にかかったことはないのですが、かなり直観力に優れた“デキル”人に間違いないでしょう。

 さて本書の内容です。本書の帯には次のように書かれています。講談社の編集者が作成したものです。
「1.おやじヘルパーで閉塞状況にある日本の介護を再生する 2.愚痴をこぼさず、前向き思考で周囲の人々を明るくする 3.焦らず、急がず、慌てず、マイペースで介護を楽しむ 4.傍観者にならず、社会における不正や悪を見逃さない 5.一人で悩みを抱え込まず、仲間をどこまでも信頼する」
以上です。我らオヤジたちは、それほど立派でもなく偉そうに介護を語れるとは考えていませんが、「意欲」だけは十分で、ここに編集者が書かれた通りのものは持ち合わせているつもりです。

 次に「目次」を紹介します。
プロローグ
第1章 おやじたちはなぜ、介護の世界を目指したのか(緊急連絡網/星さん/虎造さん/ムラちゃん/蟻ベエ/大将) 
第2章 「ホームヘルパー2級講座」で会った五人の侍(航空公園/職業倫理/実技演習/最後の講義/施設実習/同行訪問実習)
第3章 当たって砕けろ!「アラウンド還暦」の就職活動(ヘルパーステーション/デイサービスガイドヘルパー/特別養護老人ホーム/おやじヘルパーズ結成
第4章 体力の続く限り役立つおやじであり続けたい(地域包括支援センター/田園のヘルプマン/主任の代行/天空の駅/事件
第5章 男たちよ、書類を捨てよ!介護現場へ出よう(介護研究会発足/友のリハビリ/野菜づくり/老いじたく/小さな一歩)
エピローグ

 この本を執筆した東田勉さんは、以前大手出版社が出していた介護雑誌の編集者でした。だから介護の現場をよく知っています。今は医療や介護関係の記事のライターとして活躍されています。彼の序文を一部引用させていただきます。

「…会ってみると、この五人は私が予想していたよりもはるかに社会的レベルの高い中高年男性だった。定年退職後の第二の人生というとすぐに思い浮かぶ「濡れ落ち葉」という言葉とはまったく無縁で、自立した生き方を貫いていた。それに何より、「蕎麦打ち男」になっていないのがよかった。…そこへおやじヘルパーズとの出会いである。この五人のグループは、おやじヘルパーであるからこそできる介護という仕事の可能性を、自らが実験台となって示そうとしていた。そして、この国の介護の現状を憂え、なんとかそれを変革したいと願っていた。そして何より、介護ヘルパーの仕事を通して、世間の片隅で人々の役に立っていた。そこが蕎麦打ち男とは決定的に違う、おやじたちの魅力だった。…世間をほどほどに知り、仕事の経験を通じて人間関係の調整にもたけ、コミュニケーションのとり方も上手なおやじたちが、普通の体力があるならもっと介護現場に進出して、高齢化社会を支えてほしい……。五人のおやじたちは共にそう願っている。本書が、多くのおやじたちを介護現場へ導く呼び水になることを願ってやまない。(以下略)」

 さすがに東田氏の序文は、介護の現状をよく理解し、我ら5人のオヤジたちの願いや活動の実際を的確に捉えています(オヤジたちをほめ過ぎの部分もありますが)。そう、我らオヤジたちの意図は「男たちよ、ブツブツ現実社会に文句を垂れるより自らの身体を動かして問題の打開に当たれ、人生や社会の探検者になって後に続く若い人たちへの真っ当なメッセージを残せ」、そして「書を捨てよ、書類を捨てよ、偏見を捨てよ。男もすなる介護」を目指しているのです。大そうな言葉や大げさな勇気はいらない、介護の現場に飛び込め、そうすれば“何かが少しでも変わる”と考えているのです。

 私は大学で政治学を学びました。政治学を学んだのは、高校生の時期から政治家を志したからでもありました。大学生時代に弁論の勉強をして、当時の政治家の秘書の真似事を経験し選挙応援にも行きました。そこで見た政治家の行動は我欲・強欲の世界、M.ウェーバーが言うように「悪魔と手を握る」現実ばかりでした。考えてみれば自民党を中心とする政治が50年以上も続いて、政党はやりたい放題で、日本語もまともに書けない暗愚が跋扈し、権力意思の強い官僚と結託し続けて権力の甘い水に陶酔し、快感を貪り、利権を囲い込み、この国を廃れさせて来たのでした。外の風も吹き込まないその隠微な世界は腐臭を放ち、強者の論理だけで物事は進んできました。私はその只中に少しだけ巻き込まれて政治家の道を諦めました。尋常の論理が通じる世界ではありませんでした。野党は野党で、野党慣れで呆けており、負け犬の遠吠えだけをしていればよかった。

 それが今年の衆議院選挙で政権交代が実現して以後、私は政治の面白さに気づかされています。物事の意外さの中にこそ真実が含まれているものです。「変化」はそれだけで意義のある場合が多い、そう思います。仮に政治家が「悪魔と手を握る」職業であっても、「この国の行く末に関わる高い理念に関わる限りにおいての悪魔との結託」であれば、政治家としては、これをよしとすべきだと今の私なら考えます。もし私が若くて、今政治学を学んでいたとしたら、私は政治家を目指したかもしれないなー、そんなことさえ思います。政治は本当は面白いものなのです。

 政治が変わりつつある。日本の介護も変わらなければならない、そのためにはオヤジたちの介護現場への進出も重要、この意外さに気づいたのは4年前のことでした。

 オットット、本のPRを忘れていました、是非『それゆけ!おやじヘルパーズ』(講談社)をご一読ください。本体1500円也、書店になければ取り寄せてくれます。

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本が出た!介護おやじたちへの応援歌

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 今般09年11月下旬、講談社から『それゆけ!おやじヘルパーズ』が刊行されました(四六版248頁、本体1500円、ISBN978-4-06-282445-3)。もう書店に並んでいる頃でしょうか。もし書店になければ注文すれば取り寄せてくれます。是非是非ご一読ください!
 実はこの本は、東田勉さんという講談社のライターが書き下ろしたもので、何を隠そうこの「おやじへるぱー今日も行く」の私たち5人のメンバーの活動記録なのです。

 話を以前に戻します。この私たちのブログは06年9月からスタートしたものです。ヘルパー養成学校で一緒になった我ら5人のオヤジたちは、当初から元気に活動してきました。話題も豊富に提供されてブログも快調なペースで進んできました。その後全員が腰痛に悩まされたり、さまざまのことがあってブログも中断していた時期もありましたが、三人(北旅人、早起翁、星千里)は現在も現役で活動中、ワタシ七兵衛と月庵さんは最近活動を中断しています。こうした経緯は本ブログでもご報告してきました。

 実はこの私たちのブログが、東芝主宰『けあコミュニティhttp://care-comi.com/ の編集担当者の中村さんたちに気に入られて、過去6か月間2回(07年4-9月、08年4-9月)連載をさせていただきました。このサイトはよくご存知の方もおられると思いますが、何と月間100万件のアクセスがある介護コンテンツのサイトです。内容をご覧いただければお分かりになると思いますが、実に実用的で具体的で、介護に希望を抱かせる内容です。月に100万件ものアクセスがあることがよくわかります。しかも韓国語や中国語、ポルトガル語等の介護保険に関するコーナーもあり、子供向けのコーナーもあります。最新のニュースもあります。このコーナーへの連載を半年間しかも2回も続けたことは大変な栄誉だと考えていました。

 この連載を終えた頃、今度は講談社のライターの東田さんから連絡があり、我々5人のオヤジに対する東田さんの取材やインタビューが始まり、今回の出版に至ったのが経緯です。この書籍では登場するハンドルネームはあえて新しくなっていますが、このブログに登場する5人と全く同一人物であることは言うまでもありません。恥ずかしながら、我らオヤジたちのきわめて個人的な事柄もあからさまに記されています。さらに各人のヘルパー志望の動機、介護ヘルパーの養成学校での出会いの経緯、学校での授業や演習の模様、現場実習での戸惑い、就職活動、現場での格闘、そんなことをレポートしつつ、ライターの東田さんは「これから介護の仕事をしようと考えている男たち」向けに、現場デビューへの応援歌を歌ってくれているのです。物書きのプロの東田さんの筆力も十分で、とても面白く楽しく読める本になっています。

 講談社の東田さんの取材の主旨は私たちのブログをスタートしたものと全く同じでした。そこで私たちの活動の主旨を上記『けあコミュニティ』から転載させていただきます。

 07年4月から半年間連載したときのリード文です。
「平成17年秋にある県で行われた介護ヘルパー2級の研修会で共に学習した我ら初老のオヤジたち5人は、各々資格取得直後から介護現場で働いています。そして1か月に1度は「介護研究会」と称して居酒屋でビールの飲み会を開いています。我々自身も定年、リストラ、離婚、家族の介護、さらには腰痛、肥満、持病といった切実な問題を体験したり抱えていて、そうした憤懣や本音を吐露するのがこの居酒屋でもあり、又新たな介護現場での様々な問題や悩み事を話し合い、問題解決のための知恵を出し合うための「研究会」でもあります。

 そんなある日の研究会で「最近僕の後輩や近所のオヤジたちが、定年退職後に老人介護の仕事を始めたいとか、障害者のヘルパーをやりたいとか相談されるのだが…」と一人のオヤジが話し始めました。そして、我々5人の中にはいわゆる団塊の世代の者もおり、団塊の世代の大量退職が話題になっている今、彼らが介護現場に進出すれば介護問題の一端の解決にもなるだろう、そんな後に続く男たちに何かの参考になるかもしれないから「先鞭をつけてきたオレらが何か情報を発信すべきではないか」という話になり、各々が介護現場の記録を発信してみようということになったのです。そうして綴られたのが今回の連載です。

 この5人のオヤジたちに共通するのは「お年寄りや障害をもった人たちの困難な生活に深い共感を寄せている/地域社会の人間同士の絆を回復させたいという希望をもっている/日本(人)の今と将来を少なからず憂いている/老老介護のプロフェッショナルを目指す熱意に燃えている/焼酎のお湯割りで産湯に浸かったほど酒が好き…」といったところでしょうか。…」

 次は08年4月から半年間連載時のリード文です。
「オヤジたちが再び帰ってきました。宇宙の果てまで旅をして地球に戻ってきたスーパーマン“リターンズ”なら拍手喝采ですが、腰痛で腰が「く」の字に曲がった初老のオヤジたちの“リターンズ”で冴えないのですが悪しからず。昨年4月からの連載『それゆけ!おやじヘルパーず』から半年が経ちました。
平成17年秋にある県のヘルパー講習会で初めて出会った5人のオヤジたちは確実に“馬齢”を重ねながら腰痛にも耐え、毎日ゴッソリと抜け落ちる頭髪やグラグラし始めた歯ぐきにわが身の衰退への不安も胸にしまい込み、各人が抱える家庭の問題も作り笑顔で振り切って、その後も皆元気に介護の仕事を続けています。

 飲み会か何か判然としない“研究会”も相変わらず1~2か月に一度は開催しています。気兼ねなくガソリンを注入できるのでオヤジたちの楽しみの一つとなっている研究会では、ある時は大手介護事業者経営陣の断罪研究会、ある時はヘルパー資格取得を甘い言葉で促す広告批判研究会、医大の研究者が介護労働者の腰痛が極めて高率だと指摘した新聞切り抜きを持参しての研究会では我ら自身の腰痛トホホの嘆きの会となりました。また過重な労働に比して賃金の低い介護労働の現場から離職する若い人たちへの共感と改革のための研究会となることもしばしばありました。

 自らの体験も含め様々な壁にぶち当たっている介護問題を議論していくと、研究会での話題は広がり、グローバル経済の名のもとに拝金思想にまみれた大国やオイルマネー、海外の政府や投資ファンドらが主導する経済に巻き込まれて日本の我々の生活が疲弊するのはかなわない、日本は自国経済を維持するためにも「鎖国」経済を検討すべき、といった過激な意見まで研究会では出ます。

 ガソリンを満タンにした筈なのに、この国の介護の現実に話題が戻ると急に酔いはさめ、最近の研究会はいつも不完全燃焼で終わります。でもオヤジたちは、お年寄りや障がいを抱えている子どもたちが翌日も待っていて肩を押してくれるので、腰をさすりながら再び介護の現場に戻っていきます。スーパーマンほど恰好はよくないのですが、再び戻ってきたオヤジたちの日々の記録です。…」

 選挙で政権を失った政党の議員たちよ、税金を使った天下り先で高給を貪ってノホホンと鼻クソをほじっている元高級官僚たちよ(私たち5人のオヤジたちの中にも一人元霞ヶ関の高級官僚が一人いますぞ)、あなた方も介護現場で働いてみたらどうですか。政権をなぜ失ったのか、天下りへの批難をなぜ受けるのか、それらの真の理由を肌で感じ取ることができるし、介護の重要性がより明快に理解できることを保証しますよ!

「男たちよ、書を捨て・書類を捨て・偏見を捨てて介護現場に出よう!」これが私たち5人のオヤジへるぱーの当初の意気込みでした。それは今も変わってはいません。これから介護現場に出ようとする男たちが増えれば、きっと良き方向に日本の介護が向かっていくものと私たちは信じています。是非今回講談社からの新刊『それゆけ!おやじヘルパーズ』をご一読ください。ご吹聴もいただければ幸いです。
 今日は「広告」記事だけでゴメンなさい。

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おやじらは介護現場の死を語る(その参)

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月庵:介護現場の死に関しては、新聞やテレビで言われているいわゆる「介護殺人」の問題がある。親子や夫婦、家族の間での殺人による死だ。介護に疲れてとか経済的に立ち行かなくなってとかが理由だとして報道される。裁判でも、いわゆる尊属殺人とは一定の距離を置いた判決が相次いでいるし、情状酌量されるケースも多い。

 でもこうした事件を見聞きするたびに、ボクは胸が塞いでしまう。どのように考えていいのかわからない。妻や夫、息子や娘らが介護に行き詰まり殺めてしまう苦しさと言うか懊悩のようなものが少しでも伝わるからだ。その死が幸福であるような人もいるのではないか…とか考えてしまう。

早起翁:訪問している家庭でも、そのような目で日々の利用者の家庭の情況を見直さなければいけないなと考えるケースもある。例えば90歳の夫の介護をしている85歳の妻の家庭がある。夫は要介護4だ。妻は一応は元気で毎日の家事もこなしているとはいうものの、夫の介護の心身にかかるストレスは大変なものだろう。ボクらヘルパーは日曜日を除いて毎日訪問をしているが、妻の疲労が蓄積しているなと感じる場面もしばしばだ。時にはショートステイの利用も勧めているが、夫はそれを嫌うのだ。

 このケースの場合は、とても危機的な状況だと感じるときがあるのだが、果たして我々の判断が的を得ているものかどうかもわからない。深刻な情況と我々が勝手に思い込んでいるだけなのかも知れないし、普段はとても和やかにやっているようにも思えるからだ。でも妻は時折疲労困憊したような悲しそうな表情を見せるときがある。その悲しげな目の向こうに妻が見ているものは何だろうかと気になるときがある。

 我々ヘルパーには学習の場もないし、現場で我々が肌で感じている情況の感じ方やニュアンスが、管理的な立場にいるケアマネやリーダーには容易に伝わらないのだ。そこが歯がゆい思いをするところだ。

北旅人:介護殺人のようなケースの真実を詳細に調べ、殺人にいたる前後の情況がどのようなものであったかの資料があれば、それらを基にボクらヘルパーも学習する機会があればいいなと常々思っているのだが。
 しかし学習の場と言っても、なかなか難しいな。一つは介護する人間の想像力の問題にも関わるのだろう。自分なりに考えていかなければならないのだろうか。それも容易ではないね。

七兵衛:介護を仕事にしている我々が「死」をどのように体験したかということも大きく関わってくるだろう。先のアルフォンス・デーケンさんは、上智大学の哲学の講座で、学生たちに死を考えさせるために、次のような問いを投げかけてきた。「自分があと1か月の生命だと宣告されたら、あなたはどのようなことをしますか? 誰にどのような最後の言葉を述べますか、手紙を書いてください」、あるいは「最も愛する人が目前の死に直面していたら、あなたはどのような言葉をかけますか」…そのようなことだったと記憶している。

 この問いに対する「正解」は実はないのだ。一人ひとりの学生が自らどのように感じ、考え、自らの実存に立会い、言葉を記すのかというプロセスが大切なのであって、それこそが自身の「死への準備教育」となるのである。デーケンさんのこうした教育活動は貴重なものだったとボクは考えている。

 ボク自身の体験を話そう。1歳と5歳の子どもを残して逝った妻の死は、衝撃そのもので悲嘆の大きさ深さ長さは例えようもないものだった。それはボク自身だけではない。妻自身も二人の幼い子を残していく無念と悲嘆はどれほどのものだったかを思い遣ると、今でも胸がつぶれそうになる。二人の子ども自身にとってもはかり知れない衝撃だったと思う。

 ボクの母は大学生の時に亡くなったが、その衝撃も大きなものだった。父はボクが家庭をもって妻がなくなった後に逝ったが、その衝撃は大きかったものの、何か又妻、母の死とも異なる悲嘆の中味だった。自分自身の体験に照らしただけでも、死は一つのものだけれども、全く異なる悲嘆の中味を体験した。

 従って、親から見た子の死、子から見た親や祖父祖母の死、兄弟の死、友人の死、あるいはこれとは別に死に方、つまり病気による死、それも緩慢な時間の経過の果ての死と急激な病状の変化による死、事故などによる突然の死、自死や殺人といった死のカタチによっても、悲嘆の中味は異なるものだろう。

 そうした死をめぐるさまざまな実存の有様を考えることが大切な事柄だとして、アルフォンス・デーケンさんはそこに着目し、「死への準備教育」の考え方を広めてきた。これは画期的な事柄だったと思う。1980年代からその運動は継続されてきている。

 ところがここに来てとりわけ医療の場において、そうした人間の死を丁寧に見つめる作業から次第に離れつつある。医療現場がIT化でより高機能化し、医療の診療機能は激しく分化して患者は断片的な存在となり、医療職はますます多忙になり専門化し、入院期間は短縮化してきたからだろうか。医療現場の死は、ステロタイプ化しのっぺりした単一のたった一つの現象としてしか扱われなくなってきている。数で勘定される「死」と同じで、医療職も忙しさに取り紛れ、坂道を転げ落ちるような気ぜわしさの中で患者の「死」を見送るのだ。

 ボクの感覚では、介護現場はまだ救われていると思う。死にまつわる時間の流れが緩慢だからだ。「介入」できる場面と時間があるように思える。しかし医療現場は違う。明暗白黒気色鮮明にする世界だから、医療職と患者家族との時間感覚がどんどん乖離しているように思う。アタマを丸め紫色の衣をまとった高名な坊さんが、地面に降りては来ずに偉そうに高踏的に生死を語っている姿勢と似通っている世界のように感ずる。

月庵:早起翁さんの言ったリルケの「死の工場」の世界が医療の世界に広がり続けているわけだ。人間というものは、歴史とともに前進・進歩・発展・進化し賢明になるものかどうか。資本主義の発展段階のピークを象徴したかのようなリーマンショックのような現象を見ると、国家や国際社会での社会経済的な発展というものに、ボクはずいぶんと懐疑的になっている。結局は強欲に服従し支配され続ける人間像という哀しい性(さが)が、人間社会を支配し続けていくのかもしれない。宇宙空間にいくら人間が飛びだすようになっても…。

 おやじたちの介護現場の「死」をめぐる話し合いは、果てることなく続くのでした。(この項おわり)

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おやじらは介護現場の死を語る(その弐)

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早起翁:月庵さんの「きぼうのいえ」の話には感銘を受けた。是非ボクも本を読んでみたい。山本さんたちの一人の人間の死を丁寧に見送るという態度は、人間が日々生きる態度にも通じるものがあると思う。そのことをボクたちは今一度胸に手を当てて考えることが大切だ。

北旅人:「おくりびと」という映画を見た。納棺師という人の仕事、つまり縁もゆかりも無い一人の人間の亡き骸の手厚い取り扱いを通して、遺された家族や周囲の人に一人の人間の生きてきた時間をゆっくりと鮮明に思い起こさせることを描いた映画だ。

 映画の終りに近く、火葬場の一人の年配の職員が「ここは人生の「門」だと思います。だから再び会うための通過門だと考えて、いってらっしゃい、また会おうなー、と声をかけて見送るのです」こんな台詞を語るシーンがある。そこでボクが何を感じたか…神はいるのかそれともいないのか、あの世はあるのか無いのかといった難しい問答を超えて、愛する人との別離の哀しみを単純に感じた。何か言い知れぬボク自身の家族への痛烈な愛惜を覚えたのだ。

月庵:ボクも映画を見た。優れた映画だと思う。納棺師や火葬場で働いている人たちへの偏見やスティグマ(烙印)をぬぐい取るという点もこの映画の意義深いところだろう。人間の生死のはざまに立って、これほど大切な仕事をしている人がいるという事実、ここをボクたちはとかく忘れがちだ。 

 この映画では僧侶が全く登場していないことに興味を覚えた。葬式といった宗教的な儀式そのものに意味が無いとは言わないが、この映画は、現実の生死の問題と乖離したところにある葬式仏教と言われる現実のお寺の僧侶たちに対するアンチテーゼと読むこともできる。そんな視点からもう一度葬儀の周辺を見直してみることが大切だと考えた。実は愛する人の死の現実は、納棺師や火葬場職員の関わる死の儀式そのものにこそ深い真実が濃縮されているのかもしれない。何も僧侶や牧師だけの特権ではない。

七兵衛:それともう一つ、愛する人間が旅立ったあとに、遺された人間が通過しなければならない悲嘆や精神的危機、さらには経済的社会的危機もある。自殺・自死の場合などの場合はなお深刻な危機が待っていることをボクたちは知らなければならないと思う。

 早起翁さんが言ったように、死がボクたちの実存から引き剥がされて、死の原風景が遠景になっていってしまう現実社会で、生につながる「死」の復権をと叫びたくもなる。「おくりびと」はボクも見て激しく感情を揺り動かされた。メメント・モリ、死を覚えよ、という現実をボクに覚醒させたからだろう。死を考えることは生に深い思いを届けることに他ならないからだ。

月庵:話を介護現場の現実に戻していいかい。
 死にたいね、もう死にたいよ、十分生きたしワタシが死んでも哀しんでくれるような人間もいないし、早くお迎えが来ないかね……そんな言葉を発するお年寄りが実に多い。そうした言葉が出るのは自然のことかもしれない。こんな話を何度も言うお年寄りはあまり深刻な感じはない場合が多い。でもそんな言葉を発したときに、どのように応えるのが一番いいのかは、そのお年寄りの現況、生活背景、言葉の背後にある感情などを、よく読み取らなければならないと思う。とても難しいことだ。マニュアルはないな。ボクら自身の想像力がいつも試されているように感ずる。
 他方、このような言葉は語らずに、深刻に自死を考えているような場合もある。事は簡単じゃないね。連れ合いや家族の死、何らかの事件に出会ってから、うつ状態になる人も多い。そんなときには適切なベストの対応は、早く医師の受診をすすめることだ。そのような観察というか感受性を介護者として持ち続けることは、たやすいことじゃないね。

北旅人:ボクが訪問している一人の利用者のことだ。…このところ死ぬことばかり考えているよ、楽しいことが何もなくてね、テレビもバカバカしい番組ばかり、近所の敬老会の催し物だと言ってよく連絡をくれるけれど、老人たちと話しをしたりゲームをしたりしても詰まらなくてね。一体ゲームをしたりして何が面白いんだろうと思うよ、カラオケとかもね。疲れるだけだよ、あんなもの。昔は俳句をやったり登山をしたりと元気に遊んだものだが、女房が死んでからは、何もかもが詰まらなくなった。アンタたちにお世話になるほど足も衰えて不自由になったし、1週2度のデイサービスもおっくうになってきたよ。…最近訪問のときにこんなことを話すお年寄りがいる。いつもこんな具合だ。

 訪問のときは最初は緊張して、どう答えていいものやらしどろもどろになったものだ。でも何度か訪問をして毎度このような話を聞いていると、どうやらボクに愚痴のような話をするだけで、納得している様子なのだと気づいた。だから、こんなお年寄りの場合は、死の問題をストレートに話すよりも、うまくその話題から外れていって、ともかく聞いてあげることが大切なのだと思うようになった。

月庵:そうだそうだ、ボクも同じ感じ方をしている。お年寄りは死にたいとか「死」の話題を口にするが、実は話を聞いてくれる人間を探しているのかもしれないのだ。そんな場合は、ともかくお年寄りの話に耳を傾けてあげることだ。その折々にボクたち自身の経験した事柄などを話題として提供してあげたらいい。ともかく聞いてあげること、外の風を入れてあげること、テレビ番組などは社会や外界の風が入るとは思われない、むしろ逆だ、なぜならばそれは一方通行だからだ。話を聞いてくれること、心の通う会話こそ、お年寄りが望んでいることなのだ。

早起翁:そうだ。ボクがよく聞いてあげることで、死にたいとか、死の話をしなくなったお年寄りがいる。いつもボクの訪問を待っていてくれるのだ。それにしても、死にたいとか、死の話が出ると、回答に困る場面が多い。よりボクらも死に関しての勉強をしなければいけないな。(つづく)

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おやじらは介護現場の死を語る(その壱)

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 今日は久しぶりにビールのジョッキを片手に研究会。我々のこのブログの活動記録を東芝が主宰していた『けあコミュニティ』に連載(6か月連載が2回)したのが目にとまって、昨年暮から我々5人はインタビューを受けていました。その結果近々大手出版社からそのインタビュー記録が出版されるかもしれません。
 そのことも当然今日のメインの話題になりましたが、話し込むうちに研究会の話題は「介護現場での死」をどう考えるかということに発展していきました。きっかけは月庵氏のこんな話からでした。

月庵:ボクの特養では亡くなるお年寄りは月に一人いるかいないかという程度だったかな。昨日は○○さんが亡くなりました、と朝礼で必ずいつも報告がある。職員は別に驚く風でもなく、○○さんの死を飲み下すかのようにして淡々と次の仕事にとりかかる。日常的な風景だ。ボク自身もそんなことに慣れてしまっていた。

 特養のボクらヘルパーは利用者の死の瞬間に立ち会うことはほとんどなかった。利用者の死の瞬間は病院か、臨終を施設で迎える際には担当の医師と看護師がその場に立ち会い看取っていた。ボクの特養には特別の霊安室があって、そこでお別れの会があった。
 家族の状況次第ではしかるべき所で葬儀が執り行われる場合もあったけれど、身寄りが無かったり少ない人の場合にはお別れ会のような葬儀も施設で行われていた。入所者もそこでお別れをするシステムになっていた。

 特養の職員としてこんな日常的な死に慣れてしまうのだが、しかし利用者の死をいつまでも悼んでいるわけにも行かないし、かといって物が無くなったかのように気持を処理してしまうことにも抵抗がある。
 亡くなった人のことが利用者の間で話題に上ることもあったが、死を悼む時間は極めて僅かだ。職員間でも同様だった。死は同じように利用者自身にも迫っているわけで、隣の部屋の利用者もサークルで一緒の利用者も、あまり話題にしたくないと感じているのだろうか、それとも何か独特の死への達意のような心のありようがあったのだろうか。
 いずれにしてもボクも短い期間の職員生活だったけれども、利用者の死に関する気持の処理は難しかったね。

北旅人:それはあなたがまともだという証拠だ。でも長い期間仕事をしていて利用者の死が日常的なものだということになると、それに慣れてしまう。気持の処理というのはどのようにしたらいいのだろうとボクもいつも考えていたね。どうしたらいいのだろうか。

早起翁:聞くのは易いが答えるのは難しい、というヤツだね。しかし、特養のお年寄りの日常的な死、これに無感覚になってしまうことは怖いことだと月庵さんが言うのは理解できなくもないな。
 例えば新聞やTVの戦争報道では、まるで立ち木が何本か無くなったかのように勘定される。市民や兵士の「死」が「昨日は○人、今日は○人、この1年間で○人、この1か月で○人…」と報道されると、一人ひとりの市民や兵士が紡いできた一人ひとりの人生が自分とは無縁の遠景のようになってきて、実感がわいてこない。でも確実な一人ひとりの死なのだ。
 特養での利用者の死はこれと共通する心情だろうか。人間はそのようにできている、死をじーっと見続けていることはかなわないようにできているのだ。

月庵:○さんにしても百年近く生きて、恋もして仕事もして家庭ももって幸せなときもあり悲しいこともあり苦しいときもあったのだろう、その時間が○さんの顔の皺に沈んでいると考えたりもする。
 家族にも疎まれて死が至福という人もいるだろう、家族から惜しまれて亡くなる人もいるだろう、周囲に混乱と迷惑をかけていたものだから周囲がホッとする死もあるだろう、一人の人間の「死」はそれぞれの家族や友人や知人に何ものかを残していくわけだ。そうした想像力をボクらは捨ててはいけないと思う。今の時代は、そんな他人の死への想像力が衰退しているんじゃないかと思うときがある。

七兵衛:アルフォンス・デーケンさんという上智大学の哲学の先生が講演会で「日本人の死亡率はなんと百パーセントなんです…」と言うと、一瞬絶妙な間というか沈黙の瞬間があって、それからどっと一斉に笑いが起こるのだった。
 その通りで、日本人ばかりじゃなく人間全てが死亡率は百パーセントだ。全ての人間は死ぬ。これほど自明の事柄はないだろう。しかし人間はこの「死」というヤツから目を背けたがる。

 ギリシャだったかの哲学者の言葉がある。「人間にはじーっと何時までも目を向けていられないものがある、太陽と死」というものだ。その通り「死」はいつも見つめ続けてはいられない、目を背ける、忘れようとする。そして「遊びをせんとや生まれけん」とか言ってさまざまな遊びを人間は発明し続け、人生の時間をしのいでいく。普通我々が言うような遊びはもちろん、家庭も会社も仕事も政治も戦争も全て遊びだという考え方もできる。究極には「死」からの遁走が人間の本質かもしれないな。これは実はオランダの思想家で『ホモ・ルーデンス』を書いたホイジンガの語った思想だ。ボクは同意するね。

早起翁:『マルテの手記』のリルケが生きたのは19世紀末、パリでは大きな規模の病院ができて、病気の診療は当然行われるが、一方でここは「死の工場のようだ」と書いている。それまでの地域地区教会区での家での死は、いわば牧歌的な死への時間の営みというものがあった、一人の人間の死への過程を皆が共通体験したのだった。ところが病院という人工物の場での死は、死へのプロセスは隔離されて隠されてしまうのだ。
 そのようにして人間の実存から死を一歩二歩三歩と遠ざけてきた結果、人間の死にまとわりつく悲嘆や苦しみへの共通感情を薄れさせてきたことは確かなことだろう。死はこのようにしてタブー化されてきたわけだ。これは避けようのない近代化の過程だったとも言える。

月庵:病院での死、特養での死は、契約という考え方の上に立って職員として働いているものとして考えるべきなのだろう。その上で個々の患者や利用者の死は、職員個々の実存とどう関わるかと言う感性の問題として捉えるものなのだろうと思う。一人の利用者が、ボク自身の人間や人生や家族について、実に深いものを与えてくれたこともある。この点がとても大切だ。

 そこで思い出したのだけれど、東京台東区山谷地区に「きぼうのいえ」という、在宅ホスピスケア対応型集合住宅の形をとった2002年秋にできた21床の施設がある。ここの施設を開設・運営しているのは山本雅基さん美恵さん夫妻、それと多くのボランティアや医師、看護師などだ。NHKのETV特集でもその活動が報道されたし、出版物も何冊か出ている。

 この施設運営の凄さは、生活保護も受けず経済的にも心身共に生活困難を極めている重篤な病気をもった人、主に路上生活者を入所させて支援しているところだ。生活保護申請を手助けし、医療機関を受診・通院させ、最後の死の瞬間まで看取っているところだ。
 ボクが施設を訪ねたとき、事務所には多くの骨壷が置かれたままだった。身寄りもない人たちが多いからお骨の引き取り手もないからだ。山本さんたちは当初からこのような人たちの遺骨を納める場所を探していて、最近ようやく長野県に納骨堂が完成したのだと言う。ここまでやるのも凄い。

 ここでの共同生活を運営している人たちの苦労は並なものではない。胸がふさがれるような事件が毎日のように起きている。その詳細は本を読むとわかるが、山本さんが「無謀な試み」と言うほどに、施設の開設から日々の運営まで、それはそれはとてつもない苦労と苦悩の連続なのだろう。
 ここでの特筆すべき事柄は何よりも、身寄りのない人たちを、死を看取るまでケアすることだ。

 ボクは山本さんたちの活動記録の本やTVの映像を見て考えた。ここでの死の看取りの姿は、今のボクたちが忘れてしまっている人間の死の看取りの原初的な姿を見たような気がしている。一人ひとりの大切な生の最後の瞬間を大切にしてあげて見送るという原則のようなものだ。
 縁もゆかりもない路上生活者を丁寧に死の瞬間まで看取る態度というものは、人間の大いなる精神の可能性を物語っているのではないか。ここは人生のやり直しの場、という山本さんたちの言葉に深い真実がこめられている。 (つづく)

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保守/迎合/強欲/身勝手な老者たち

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 時折時間があると新しくできた市立図書館に通う。新刊書籍も購入審査次第で意外に早く読めるし、月刊誌なども揃っていて嬉しい。今日も夏休みも終わり近く、子どもたちで混んでいる。夏休みの宿題の追い込みなのだろう。容易にテーブル席も確保できなかった。学校の休みのない期間は老人たちでいつも混んでいる。冬は暖かく夏は涼しいから当然のことか。

 図書館の受付で一人の老人が大声を出している。ああまたか。
「一体いつになったら借りられるのかときいているんだよ。」
「ですからそれは二週間かそれ以上かわからないんですが…。」
 係の女性は細い声で返答している。
「もっと大きな声で応えなさいよ、こっちも忙しいんだから、聞こえないよ。…ああいつになるかわからないと言うんだね、じゃーもういいよ、オレは帰る。」
「スミマセン…」
 私から見たところ図書館の職員には全く落ち度もなく対応も親切で丁寧だった。

 どうせこの老人もロクなヤツじゃないだろうと顔を見ようとしたが向こう向きなのではっきりとはわからなかったが、薄手のピンクのシャツを着ている。どうせどこかの企業か役所かで、社長であったか役員であったか、管理職であったか、まあどうでもいいことだが、ロクな輩ではないだろう。勘違いである。彼は帰らずにテーブル席に戻っていった。

 最近突然大声を発したり人を怒鳴りつけたりする老人に頻繁に出会う。今日も現場に立ち会ってしまった。イヤな気分になった。こうした老人たちは会社や組織で上の立場にいて社員を睥睨していたのだろうか、その悪習慣か悪クセが出るのだろうか。勘違いも甚だしい。

 月刊誌数冊をパラパラと読み終えてから帰宅しようと思い図書館を出てエレベーターのあるロビーに向かった。そこには先ほどのピンクのシャツの老人ともう一人の老人、そして髪の毛を金色に染めスパンコールの光るシャツを着たハデハデの老女がエレベーターの到着を待っていた。三人は夫婦か仲間内らしい、皆70歳前後だろうか、持ち物や身なりから皆小金持ち風である。

「だいたい図書館の連中は気がきかない、小さな声で説明するものだから怒鳴ってやった、こっちだって高い税金を払ってここを使っている、そもそも仕事というものは……」
「そうなのよー、図書館の連中は皆こうなんだから…」
 老女はそう言うと手を上げて差別的表現を示す仕草をする。
「市役所で務まらないからこんなところにいるんだから…」
 もう一人の老人は、腰巾着風のヤツで、ワケ知りのようにヘラヘラと笑いながら、へつらう風にうなずいて老女に賛意を示している様子。

 この風景を見てボクは不愉快になり、見るのもイヤで階段を降りることにした。無性に腹が立った。この国を本当にダメにしていくのはこんな老者たちなのじゃないか、勘違いしたまま社会生活を過ごす老者たちが増えている、この国を狂れさせ潰すにはこんな自覚の薄い老者たちが増えていくことだ。保守的で迎合的で強欲で権威主義的で身勝手で醜悪な老者たちよ。 

 この国の変化や政権交代を真に望んでいるのは、調査(09/8/28毎日新聞朝刊)ひとつとってもわかるように圧倒的に若い人たちである。図書館で出会ったような類いの老者たちは、小金をしまいこんでいて「保守的で強欲で権威的」であるから、真の変化changeを望まない。調査によってもそのことが読みとれる。変化を望まない保守と強欲への意思、それがこの国を堕してきたのだとも思う。

 お年寄りに対する敬意と長寿への祈りは、最近とみに薄れてきたと言う。これは何もこの国に限ったことではあるまい。輻輳した原因と複雑な感情がもつれあっている。しかし、図書館で出合ったような老者たちの驕慢さは、小金を持って安全地帯に逃げおおせ、社会責任を放棄してしまった「経済的には一見幸福そうに見える境遇」から来ている。そして「若くて健康で仕事現場で生き生きと活動する若い人たち」への嫉妬感情が強い。病気でもなく介護を必要としてもいない狂れた老者たち。

 しかし、しかし、全ての老者がそのようなのではない。きっと図書館で出合った類いの老者たちは、若い時分から「保守的で迎合的で強欲で権威主義的で身勝手で醜悪」だったのである。
 
 「老人・老者」と年齢だけで一括りにしては物事の真実を見失ってしまうだろう。

 介護の仕事に従事してきて、実に居心地の悪い気持になるときがある。


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朝令は暮改で又朝令の怪のウラ

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 寝起きの私(七兵衛)の目に朝刊の一面トップの見出し「要介護認定基準を緩和」が飛び込んできた。その09年7月29日毎日新聞朝刊の記事を一部引用させていただく。
《4月から新しい基準で実施されている介護保険の要介護認定について、厚生労働省は28日、74の調査項目中43項目を旧基準に沿って緩和する大幅な見直し案を同省の専門家会議に示し、了承された。新基準導入後、介護保険サービスが受けられない人や軽度と認定される人の割合が増えたための措置。10月1日申請分から適用する方針。》

 続けて「要介護認定基準の主な見直し点」として次のような項目が掲げられている。
《麻痺(左右・上下肢):静止した状態を保持できるかどうかの確認を追加》
《座位保持:座った状態を1分程度保持できるかどうかを10分程度に変更》
《起き上がり・立ち上がり:体の一部を支えにしてできる場合は「つかまらないでできる」ではなく「何かにつかまればできる」》
《食事摂取:食べやすくするために食物をほぐすなどの作業を「介助」とみなす》

 これら各項目についてのコメントは不要だろう。素人でも「見直し点」が妥当だと判断できる。ではなぜこのような欠陥のある新基準が堂々と実施されたのか。新聞記事見出しには「要介護認定基準を“緩和”」とあるが、本当にそうだろうか、正しくは「訂正」あるいは「やり直しに」「振り出しに」「元通りに」ではないのか。

 この4月の改定新基準では、重度の寝たきりの人が、複数項目で「介助の必要なし」と判定されることなど、その杜撰さが批判を浴びてきたことは、私も仲間のおやじへるぱーと話をした上で4月と7月の本ブログで指摘した。私自身の義母も介護保険の利用者だ。新基準の影響を受けてきた。そもそも半年で2度の基準改変など考えられない。ところがありえないことが起こった。これからも現場の混乱は続くことだろう。

 私は疑問だらけになったアタマを抱え込んだ。何かがおかしいし不可解だし得心からは程遠い。そこで得心に至るまでの資料検索の旅に出た。

 09年4月13日に厚労省で開催された「第1回要介護認定の見直しに係る検証・検討会」では、冒頭では大臣と厚労省担当官以外に専門家会議委員13名が出席している。新しい介護認定基準が実施される以前から、介護現場からの激しい批判と矛盾点の指摘を受けていたために、厚生労働大臣が慌てて開いた会議である。私はまずその議事録を丹念に追った。議事録には委員の実名も当然出ている。

 ある専門家委員の意見。
《T委員:本当にサービスを提供されて、その人たちが適切な介護を実際に本当に受けることができたのか、その結果、どのようなアウトカムが示されたのかという検証が必要であったと思います。それが本来、介護保険制度で検証してこなければならなかったことだと思うんですが、残念ながら給付決定後のアウトカムについては、今のところ十分なエビデンスが積み上げられず、研究もなされてこなかったために、今回のような事態が起きたと考えています。》

 えーっ、本当にそうなのか、まさか。厚生労働科学研究費や文部科学研究費などを使って、エビデンス研究は腐るほど行われてきたのではないか。記憶は正確ではないけれど何がしかの論文を目にしたような気がする。でも本当にT委員の指摘するように本格的な検証が為されてこなかったとすれば、大問題ではないのか。事は国家の計に関わることだ。制度発足から何年経過しているというのだ。でもこの委員の意見もどこか胡乱だ。今さら何をのたまうのかとも思う。肝心な何かが隠されているのではないか。

 ところがこの議事録では、ある専門家委員は新介護認定基準の検討会を発足した際には、きちんとした「ロジック」で発足したと語っている。
《Y委員:この検討会の位置づけを、もう一回確認させていただきたいのですが、平成18年10月からきちっとロジックをやって、ある程度、結論を出してスタートしたわけなので、この検討会は、そもそも、このロジックについて、また戻って議論してやるのか、それとも当面は、今、混乱していて、利用者さんに対する説明とか、そういう視点なのか、ある程度長期的に議論して総合的にやるのか、短期的に対処できるものを議論するのか、整理していかないと、結構、議論が錯綜していくような気がするので、その辺は、委員全体でコンセンサスを得た方が私はいいと思います。》

 この委員はそもそも何を言っているのかがわからない。議事録というのは怖い。支離滅裂も何もかもそのまま記録される、勿論公表までに発言者本人の内容チェックの機会はあるのだが。往々にしてこのY委員のように、議事と物事の本質から大きく外れてしまい、ワタシは皆さんの合意を得て一生懸命やったのに批判を受けるのは心外だと、責任を逃れようとする輩がいる。しかしこんな言い訳めいた発言は、私たち介護保険の利用者と汗まみれで働いている現場の介護職にとっては、どうでもいい。屁のような発言だ。検討会のプロセスなどどうでもいい。はっきり言ってやろう、その絵は誰が見ても駄作以下なのに一生懸命やったのだから高く買ってくれと言い張る強欲のヘボ画家と同じだ、駄作なのは委員皆のせいだと言わんばかりである。恥を知らない発言だ。何がロジックか知らないが、ロジックも何もない基準は誰が作ったのだと問い返したい。

 利用者を代表した家族会の人の話は率直で、至極まともで現実的である。
《T委員:認知症の人と家族の会…は来年30周年を迎える組織で、現在44都道府県に支部がありまして、会員は約1万人の組織であります。…当初厚生労働省から出されたテキストについては、私たちはそれを拝見したときに驚愕の一言でした。…それは簡単に言いますと…歯磨き洗顔の習慣がなくて、枕元に薬を置いておくと一度に1週間分でも飲んでしまう、あるいは電話でむだな買い物をたくさんしている。それで、調査に来たときにたまたま生年月日や名前が言えたという方も一次の調査選択肢では全く同じになるわけです。ここがやはり一番みんなが心配をしているところなんです。元気であるから、動けるから介助の必要が全くないという人と、必要があるけれども、されていないという、ここを最初同列に置いたところがそもそもの批判を受ける始まりだと思いました。そういう意味で言いますと、今回の変更を考えた人は、余りに認知症の人のことや家族のことを知らない人が考えたのではないかと思います…むしろ今回のやり方が認定の事務を一層煩雑にするのではないかという気もしましたし、何よりも介護保険に対する信頼がなくなるのではないか、こういうことを危惧しまして、すぐさま具体例を挙げて意見書を出させてもらいました。》

 これらの議事録は読むに値する。おやじへるぱーの仲間にも是非一読を勧めようと考えている。専門家の独断と無知無責任、右顧左眄、唯々諾々が透けて見えてくる。そして官僚の牽強付会とイデオロギーの独壇場であることもよくわかる。

 私はあるリハビリ医師のブログに注目した(『リハ医の独白』)。彼は綿密に資料を調査した上で冷静な分析を行い、今回の経緯について次のように感想を述べている。
《今回の要介護認定調査項目判定基準変更は、明らかな改悪である。要介護者の状況を把握し、「自立」に向けた援助を行うという介護保険開始時に掲げた理念と相容れない。介助者がいて家事等の役割がない場合、介護保険から排除される。実際にかかる介助の手間が変わらなくても、基準を変更することにより要介護度が下がる。できる限り要介護認定を引き下げ、区分限度支給額の壁を使いサービス利用を妨げる。手の込んだ姑息な手段を駆使することに厚労省官僚は長けている。》

 さらにこのリハ医はこう記す。
《最大の問題は、1分間タイムスタディに基づく統計処理の誤りです。認定システム設計当初、1分間タイムスタディで介護にどのくらい時間がかかるか収集した上で、樹形モデルを使い統計的に処理したとされています。しかし、1分間タイムスタディの舞台となった施設では、必要な介護を全て行っていたわけではありません。限られたマンパワーの中で、優先順位をつけて介護をしていただけです。本来行うべき介護が人手不足で行われなかった場合でも、介護が不必要だったという誤った解釈がされました。また、身体介護しか評価しなかったため、認知症者に対する見守りという介護行為が全く評価されませんでした。その結果、介護実態とかけ離れた一次判定が横行するようになりました。
 要介護認定システムは改定のたびに粗悪品となっています。日常生活の自立度と認知行動障害のみに着目すれば、多くの方が納得できる指標が作成できるはずなのに、何故にほころびたシステムにこだわり続けるのか、私には理解できません。》

 このリハ医のコメントは正しいと思う。このリハ医に先述の専門家委員はどう答えるのだろうか。そうではないとする論拠があるのならば反論すべきだろう。このリハ医のブログは資料も正確で真摯なので評判だ。実に多くの人たちが閲覧している。委員たちも目を通しているはずだ。目を通していないとすれば、怠慢か恥知らずである。
 実は今回の介護基準改訂は、初めに結論ありきではなかったのか、そうでなければ理解できないことばかりである。そして研究方法論の誤りなど、拙劣でお粗末の極みである。

 今日の結語を急ぐ。つまりはこの4月からの新介護認定基準を厚労省は撤回したことになる。ほぼ旧基準のままでいいとするのが骨子だ。ではあの新基準とは一体何だったのだろう。それはこうだ。社会保障費の削減目標に添った新基準であったことは言うまでもない。それを武器に成果を上げようとした。しかしあまりに杜撰な呆れた基準だったので、現場から激しい批判を受けてしまった。大臣や官僚たちは慌てた。その後国会は「政局」になった。都議会議員選挙で自民党は惨敗した。衆議院は解散、総選挙が決まった。政権交代が実現する可能性が大いにある。まずいことになった。選挙対策としてこのままではまずい。だから新基準を取り下げた。……これが真実のところだろうと私は考えている。
 でも新基準の経緯をめぐる「怪」の全貌は未だ解けてはいない。私の旅は続く。

 

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♪迷路は続くよーどこまでもー

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 いつも私たちが当り前のように何気なく使っている「介護」という言葉。かつて私(七兵衛)の仕事に関係して、この言葉がいつから使われてきたのかを調べたことがある。その当時手許にあった「広辞苑・第二版」(昭和44年1刷)を調べてみたら「介護」という言葉はなかった。その後あれこれと調べたあげく、明治時代に軍人恩給に関係する用語として突然出現したこと、それが再び登場するのは、第二次世界大戦後しばらくして厚生省の援護か福祉関係の通知か通達に出てきた言葉であることまではたどれた。さらに「介護」が現在用いられている意味で使われるようになったのは1970年代である。(これ以外の証左をお持ちの人は是非ご教示いただきたい。) いずれにせよ一貫して行政用語として用いられてきた言葉であることがわかった。

「介入」という言葉は上記の「広辞苑」にはあった。事件に割って入ることを意味する言葉だ。「介」という文字は、もともと人には区切り・けじめがあることを意味する。ハラキリの介錯の「介」だ。だから「介護」とは「割って入り介し護る」、つまり間に積極的に割って入ることを意味する言葉ということになるのだろう。

 他方「看護」という言葉は古くから用いられてきた言葉だ。和辻哲郎の『風土』では、農民が農地の土壌の具合を吟味し養生する行為にも「看護」という言葉が使われている。「手をかざして看て護る」わけだからどちらかと言うと静かな行為だ。「看護」はとても自然に発生してきた行為という語感がある。それに比して「介護」は、ある意図をもって社会的に介入するニュアンスが強い言葉だ。外国の言葉ではどうなのだろうか、いつかゆっくり調べたいと考えている。「介護」と「看護」この二つの言葉の意味の差異はとても大きなものがありそうだ。

 さて、この「介護」問題である。共同通信がこの09年7月13日に配信した記事を少し長いが引用させてもらう。
《介護保険の支援が必要と思い、全国約6万人が要介護認定を新たに申請したところ、「非該当」(自立)と判定された人が4~5月時点で5・0%と、前年同時期(2・4%)より倍増したことが13日、厚生労働省の調査で分かった。4月から導入された要介護認定の新基準に基づく判定。厚労省が同日、有識者でつくる「要介護認定見直し検証・検討会」に報告した。新基準の影響について介護関係団体が「要介護度が実際より軽く認定されるのでは」と指摘していた。厚労省は影響を分析中だが、今回非該当の増加により、今後介護サービスの利用が抑制されかねないなど不安の声も出そうだ。非該当は、申請者の心身状態や生活能力からみて介護サービスは必要ないという判定。変更前の旧基準で判定された05~08年は2・4~3・9%にとどまっていた。要介護度別の状況では、最も軽い「要支援1」の判定は23・0%と前年同時期より4・0ポイント増加。比較的軽い「要介護1」は23・4%、重度判定の「要介護4」「同5」も両方合わせて計14・4%になり、それぞれ1・6~1・7ポイント増えた。現在の利用者が更新認定を受けた場合、希望すればこれまで通りのサービスを受けられる経過措置が取られているが、新たに申請する人には新基準が適用される。調査は、1492市区町村のデータを集計。要介護認定の新規申請者は5万9396人。》

 私の妻の母は93歳、東北の地方都市で独りで暮らしている。片眼の視力がもともとほとんどなく、もう一方の眼も視力は極めて低く、日常生活に支障をきたしていた。2年前に癌の手術をして以後は、身体も急速に衰えを見せ始めてきたために、地域包括支援センターに相談し、主治医の支援もあって「要支援2」の判定で、週1、2回のデイサービスを利用してきた。この程度で済んでいるのは、スープの冷めない距離に住んでいるこれも一人暮らしの母の妹・83歳になる叔母がいてくれるからである。寒くて雪の多い冬には同居してもらっている。叔母が介護に疲れるとショートステイも時折利用している。

 そして主に妻が月1、2回のペースで遠距離介護を続けている。私も時折車で出向くが、やはり母と叔母を安堵させる妻の力にはかなわない。妻も67歳、毎日1回は電話を入れて母と叔母の様子を把握しているが、電話口の向こうの「もうダメ、限界を超えている」という叔母の嘆き、軽度の認知症の症状が出始めた母の弱々しい声やトンチンカンな話しぶりを聞くたびに、しばしば妻はおっとり刀で新幹線に飛び乗る。妻にも身体的精神的な疲労が蓄積していることがよくわかる。でも母も叔母も妻が行くと安心して、安定した生活に戻る様子だ。こうした生活が2年間続いている。

 妻とも今後の事柄について何度も話を繰り返しているが、そんなに理想的な妙案は浮かばない。母の近隣の町に住む親戚からは、おばあちゃんを今後どうするのかと批判めいた電話もしばしば入る。妻を攻撃するような言葉が続いて、私は妻をかばおうと酷い言葉で妻の親戚をなじったこともある。母は東京での同居生活は初めから拒否している。それは母のわがままではなく、生まれ育った地で最後の時を迎えたいという切なる願いであり、その意思は尊いものだと私は考えている。一方で妻の郷里での母との同居も考えたが、それもままならない現実もある。

 そして事件である。母は最近「要支援2」から「要支援1」に介護度が下げられる可能性が大きいとケアマネから連絡をもらった。どうやら「要支援1」に移行する判定は動かないらしい。私はケアマネに猛抗議をし、主治医にも連絡をとって何とか現在の判定を変えないようにと抵抗を続けている。我々にも厳しい現実が目の前に横たわっている。さてどうするか。悶々とする日々が続いている。

 日本の介護の世界は、その造語の由来に示されたとおり行政がサービスの提供全てを保障する、言い方を変えれば全ての権限は行政が握っている。介護を必要とすると利用者や家族が思料したら介護を申請するという行動から全ては始まる。利用者の申請主義だ。そして専門家による要介護認定基準の適用が次の段階だ。国民から徴収した保険料を使って必要な介護サービスを提供するのだから、この流れは妥当で当然と言えば当然のことで、限りなく公正に公平に行われなければならない。

 しかし、介護現場で働いてきた私から言わせれば、「エーッこの利用者が要介護1!? 軽すぎやしないか?」といった場面にしばしば遭遇したものだ。その逆も頻繁だった。この介護認定基準の適用はとても曖昧な要素を含む、いや曖昧さからは逃れられないと言うべきかもしれない。ケアマネらの判断も恣意性からは逃れられない。しかし、そのこともさることながら、大きな問題は、この共同通信の記事報道に見られるように、行政が「判定をきつくせよ」として新しい認定基準を示して通知やら通達で配信すると、一斉に右にならえ、で靡いていって判定が変わってしまうことだ。裁量もどんどん狭くなっていく。これこれの%を目標に削減と言われればその通りに実行する。この国の専門家の“従順さ”に背筋が寒くなる。

専門家たちに少なくとも背理の自覚は薄い。少し矛盾を感じて蜂に刺された程度の痛みは感ずるものの、ただそれだけのこと。抗弁されたら苦し紛れの抗弁は上手いものだ。もっともっと大変なお年寄りが多くてね、貴女のところのおばあちゃんがうらやましい…と妻はケアマネから聞かされる。私が電話を代わり抗議する。「一体何のために介護度を落とすのか?」「それは国と自治体の方針だから」「誰のためにそんなことをするのか?」「お国のために、国がそう言うから」。「自己保身のために」と本音を言ってくれれば私も得心するのだけれど、何度公式見解を聞かされても得心できないので私の抗議は続く、そして徒労に終わる、疲れ果てる。でもケアマネたちを責めても詮無い事柄だ、とも思う。本命の敵は巨大で眠っているのだ。

小泉政権時代から、社会保障費は毎年度2200億円規模で削減が実行されてきた。今般の「新介護認定基準」がその一環であることは言うまでもない。一方、福田政権下で道路特定財源を一般財源化すると決定されたにもかかわらず、一般財源化の名目のもとで道路財源は以前より肥大化した。このカラクリは随所で指摘されている。

「介護」と「道路」この両者の直面している現実は、不気味なほどに日本の政治行政の倒錯をあぶりだしている。次世代に示すべきビジョンがない。人間の尊厳とか生存権・生活権とか社会のあり方といった価値観を裏づけとした思想が伺えない。全ては目先の功を虎視眈々と狙う政治屋と官僚の手の内にある。虚無的である。「介入」によってますます貧相になるビジョンのない介護、「介入」によって利権が貪られ走るクルマもまばらなムダの連鎖の高規格道路計画。

 私と妻の悶々とする日々は続くだろう。トンネルの出口からの光は今後も射してはこないだろう。母はますます衰えていくことだろう。叔母も衰えていくだろう。妻の疲労も溜まっていくだろう。高規格道路計画からはるかに遠く、私たちの歩く路は迷路のようだ。

 私がかつてケアしていた障がいをもったTクンという中学生は熱烈な鉄道ファンだった。いつもどこでも歩きながら「♪線路は続くよーどこまでもー…」という歌を実にうまく歌い、私も一緒に唱和して歩いた。今頃Tクンはどうしているだろう。きっと元気に高校に通っていることだろう。

 Tクン、ボクは今「♪迷路は続くよーどこまでもー」と一人で歌っている。

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裁判員ワタシの家族の反対論

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今日は介護問題から外れます。
裁判員制度が5月21日から始まりました。“幸い”裁判員候補の委嘱状は今回私のところにも家族にも届きませんでしたが、制度がスタートするというニュースを受けて、我が家族は議論を闘わせました。七兵衛(サンタ)と妻(ヒメクマ)と次男(ポチ)の議論は次のようなものでした。

サンタ:共同通信の「47News」で見たところでは、全国紙・地方紙の社説のほとんどが裁判員制度への反対論の大合唱。でも5年前の国会では、ほぼ全会一致で法案は成立し、新聞TVもこの制度の詳細は報道しなかったのだ。それはなぜか。だれもが制度の詳細を知らされていなかったからだ。国会議員ももっともらしい説明だけで賛成していたのだった。これもいつものことだ。
だから司法界の知恵者の勝利だったのだ。それが今になって新聞社説で反対とは、新聞もTV報道も相当ズサンだね。

ポチ:裁判員制度発足の本当の経緯が知りたくて本を探した。その中でアホな判事やアホな裁判の話を採録した本を何冊か読んだ。その中には、エーッウソだろーというような話がいくつも出てくる。司法の世界は非常識で独善的、独特の世界だね。
裁判所でお高く留まって法衣を着て鎮座している裁判官や検察官の不見識、非常識、無知には驚かされる。裁判所の判事や検察官が法律世界だけの空気を吸っているため、純粋培養で世間知らずのアホなので、というのが裁判員制度導入の一つの理由だと言うからお笑いだ。でもこのことは大新聞やTVでは絶対に報道されない・してはいけない不可侵のマターで、ボクは真実だと思う。

サンタ:この制度は司法改革が全く進まず独善的で自浄作用がない司法界にホトホト手を焼いた弁護士サイドからの提案に始まり、警察検察裁判所が渋々承知したというのが実情なのだろうか。
フタを開けてみれば、ねじれたような制度の中味になったのも、そんな背景があったからなのだろうか。ねじれた制度は警察検察裁判所の抵抗の強さを物語るのではないか。
刑事事件の中でも殺人などに関わる重大な事案を裁判員参加のケースに持ってきたのは、この制度の「廃れ」を待つ警察検察裁判所の意図という見方もできる。なぜ民事事件などの事案を持ってこなかったのだろうか。

ポチ:そもそも今まで裁判官はどんな判決を下していたのだろうか。多くの事案を「解決」、イヤ違う「処理」しなければならず、警察検察裁判所の中で蠢く人間の顔の見えない流れ作業システムの中で、マトモな神経も麻痺してくる隠微な世界での判決だったに違いない。
判事たちも人間、完璧な人間はいないのだから間違うこともある、感情に左右されたりウツになったり家庭のあれこれで気持も動揺している時もあるだろう、だからといって市民参加による裁判員制度を創設したと言うのも筋が通らない。司法関係者の社会常識の欠如や無知、自浄作業の無さをそのままにしておいていいのだろうか。

ヒメクマ:聖書でよく「パリサイ人」の話が出てくる。マタイ23章。イエスは言う。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。…薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。」内村鑑三はこうだ。「パリサイ人とは必ずしも偽善者にあらざりき。模範的パリサイ人とは、信ありて愛なき者なり。」
公平とあわれみと忠実に欠け、信ありて愛なき者…これはワタシが考えるに今の司法を中心的に推し進めている人たちのことではないかと思う。

サンタ:裁判員制度は、法曹家を目指して分厚い六法全書の頁をヤギのように喰って勉強して法曹家になった者たちの適性の問題と無能、非力を証明している。そうでなければ裁判員制度など不要なものだったはずだ。勿論真っ当な法曹家も多いのだろうが、その真っ当な人たちの声や心が司法の隅々まで届かないのが大きな問題だ。つまり心なき法曹界。何と今の政治の世界と似通っていることか。
金融工学」という学問が今般の世界金融暴走の引き金を引いたという見方がある。司法に関しても、「司法工学」ないしは「法律工学」(法工学ではない)とでも言うべき学問領域が進歩するかも知れない。既に現実の検察人のアタマなどは「司法工学」で組み立てられていると言ってよいのではないか。彼らにとってはスピーディな処理を約束する具合のいい学問領域だ。法律と過去の判例と被告人の年齢等々を計量化したマトリクスから科料をコンピューターで導き出すというワケだ。お笑いごとではないよ。

ポチ:司法関係者のアタマの中は律法であふれ、世の中はすべて「人間=性悪」「正しい律法=正義」によって動くべきだという幻想に駆られている。
とりわけ検察人に聞きたいものだ。一体現今世界の「正義」とは何か。
「正義」が機能している社会であるとすれば毎日100人もの人たちが自死することはないだろう。巨額の原資を抱えながら、派遣従業員に対して明日からの仕事は無いから直ちに寮を出ろと言い放つ大企業、その結果突然仕事を失い生活の糧を奪われて路上に生活する人が増えている。巨大な悪が隠され触法とも指弾されることはないとタカをくくっている巨大企業。
現今の社会に「正義」が行われているとは思えない。無秩序な巨悪をそのままにして侵食させ、公平さ、憐れみ、忠実さ…そういった価値観は昨今見られない中での裁判員制度だ。「正義」とは検察人の考えているような“律法の塊り”ではないのだよ、哲学、人間の生き方の問題なのだ。

ヒメクマ:横山秀夫の小説『半落ち』では、妻を死に至らしめた被告に対して、地裁の若い判事は、判事自身が重い認知症の父親と格闘してきた実体験を前提にした上で、法廷で被告を戒める場面がある。
ここでは判事自身のナマの生活体験がどれほど強く判決に影響を及ぼすのかということを示唆している。と言うことは、判事自身の哲学や生活観が貧相で画一的とすれば、この小説のような例は現実には極めて稀なことではないだろうか。
裁判官の人間性、仕事への忠実さと熱意、人間への愛情、恩寵を尊んだ人間への温情…と言った人間の美質から表現された判決のようなものは、極めて稀だからね。裁判官も無罪が多い裁判官は出世できないそうだ。
最近過労死に関する判決や不当労働に関する判決では、時折そんな裁判官の顔と心が見える判決が続くようになったことは感じるけれどね。

サンタ:でも検察人の考えている人間性悪説と無明の闇は変わっていないね。人間の蠢く世間は全て悪くて冷たくて性悪で絶望的というわけだ。事実そう表現する検察人が多くいることを友人の弁護士から聞いたことがある。
最近は法曹界では司法修習生の中で検察官の仕事に就きたいと希望する女性が増えているという記事を読んだ。クワバラクワバラ。正義の顔をした独善の増長を予感させる。
こんな無明の暗闇の不可侵の法曹界だからこそ、国民参加の裁判員制度が不可欠のものだと判断した司法界の天才がいたのだと信じる。その意味ではこの制度は評価しなければと思う。でも本来それは判事や検察人の深い内省と自浄作用があっての話なのだ。

ポチ:弁護士にしても、彼らの仕事は金銭的なビジネス以外の何ものでもなく、膨大な判例や資料の中から被告個人の利益に関わる最適なものを探し出すことは時間的にも不可能に近いし、カネにもならない案件はほどほどの近似値で落ち所を探しあてて妥協する。だから弁護士とは何者かをも問いたい。ヤクザまがいの弁護士もいる。
テレビで弁護士事務所のコマーシャルが流されるのも違和感がある。そんなに巨額な利益が弁護士事務所に入るのだろうか。弁護士事務所ではキャッシュカードも使えないそうだ。そんな弁護士事務所の旧態と人間不信の思想。彼らも警察検察判事と一蓮托生の連鎖に陥るしかない。
独創的に法と判例を組み合わせて依頼者の利益に資する努力をする弁護士、金銭的なビジネスの枠を超えて被告の弁護にあたる弁護士もいる。しかしそのような弁護士は極めて稀だろう。

サンタ:裁判員としてもろ手を挙げて参加意志を表明している人たちがいるという。さっぱりその気持が理解できない。
賛成している者たちに本当の守秘義務が保てるのか、おそらく無理だろうよ。一時の感情に左右されない公正さも期待するのは無理。知識に関しては全く期待できない。だから制度が始まってからいずれ大きな深刻な問題が起きることは間違いない。
その時に裁判員たちよ、泣き言を言っても遅い。そもそも裁判員に決定したことを第三者に言ってはならないこと、評議内容を一生涯洩らしてはならず、違反すればペナルティ…当然の事柄とは言え、一体どれほどの人がこれを履行完遂できるのだろう。
しかも裁判員の参画する事案は殺人や放火など重大な事案二千数百件が対象に含まれると言う。もろ手を挙げて参加の意志を示している人たちよ、どう意思表示するのですかと問いたい。

ヒメクマ:お上が率先して作った制度だから、お上に奉公している公務員は勤務などに格別の配慮がなされるから何も憂慮することはないのだろう。賛成している人の数と公務員関係者の数は一致しているのではないか。
それに比べて民間の中小零細企業では、余人をもって替えがたいという現実がある。介護現場などもそうだ。大きな矛盾を感じる。

ポチ:裁判員候補者に選定されたことを名誉だと信じている人、コンピューターが拾い上げただけで貴殿を何か優れた資質があるからと判断したわけでもないのに喜々としている人は愚かだね。
それと何だか面白そうだ、犯罪者に自分の考えたとおりの罪科、まして死刑まで課すことができるなんてスゴイと考える人もいるだろう。いつでもどこもこんな輩はいる。この国をもっと悪くする愉快犯だ。話にならない。

サンタ:「真実」というものは、パリサイ人のように「法律や判例を当てはめる」だけの画一性の知識などで知ることはできない。罪を犯したとされる人・その人によって被害にあった人たちを前にして、事象の真実にどれほど迫れるのだろうか。
自らの真実を見る目は確かではないかもしれない…胸に手を当ててボクはそう考える。
まあやってみればいいさ、ボクは死ぬまで参画しない。ボクのような自分の信念に反してまで裁判員になることはないという考え方についても、国は認めていない、ペナルティを課すと言っている。これは国家の横暴だ、制度の廃れを待つ警察検察裁判所の意図を強く感ずる。これにも徹底的に反抗すべきだ。ペナルティを課されたとしたら、国を提訴したいと考えているまともな人たちは相当数いると思う。

かくして我が家族は全員が裁判員制度に反対。もし今後委嘱状が家族のうちの一人にでも届いたら、家族が団結してこの制度と闘おうと約束したのでした。



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選挙だぞ介護度認定の朝令暮改

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 不可解なことが起こっています。09年4月から実施された介護保険の要介護認定新基準では、ほとんどの人が介護度が軽くなるとの現場の批判を受け、「経過措置」として「利用者が希望すれば従来の要介護度のままでいい」と厚生労働大臣が述べたニュース報道をテレビで見ました。
 その瞬間私はどうにも居心地の悪さを覚えました。居心地の悪さを感じたのは「これには相応のウラがあるな」と直感したからです。
 そもそも何故直ちに取り下げるような新しい介護認定基準を実施したのか、それほどデタラメなひどい基準であったなら今までの検証作業は何であったのか、これに参画した学者や有識者といわれる人たちは何を見ていたのか…疑点はいくらでも沸いてきます。現場を歩いてきたから私にもその程度のことは推測できます。介護現場で働いている人や利用者も、多くの人たちが私と同じように感じ考えたと思います。
 厚生労働大臣の朝令暮改のウラを探るべく私は資料を調べネットを探索した上で、同人のオヤジに電話で意見を求めました。

 七兵衛:一体現場ではどんな声が聞かれるのか。あまりにも利用者を冒涜した基準だし、そもそも評価項目が82項目から74項目になり(6項目追加、14項目削除)大した影響はないと思っていたら、実は減った数項目にはとても重要な内容の項目が含まれていたと考えざるを得ない。
 あるいは識見も知識もない基準作成作業に関わった者たちが、コンピューター上のマトリックスを全く理解していなかったのか、まさか、まさかそれはないだろう。新たな認定基準で評価すると、重くなる人は皆無で全ての利用者が軽く判定されてしまったと聞いた。現場では施設入所者が施設を出なければならなくなるということまで起きているそうではないか。
 ボクはこれは確信犯的な認定基準と見ている。つまり総介護費用の削減に結びつく認定基準だということだ。一体こんな認定基準を堂々と通した官僚や学者たちは、一体何をもくろんでいたのか。官僚の走狗と成り果てた学識経験者なる者たちの責任も大きい。

 早起翁:現場のケアマネたちは困惑している。どう評価をやり直してみても低く認定されてしまうと言っていた。
 例えば寝たきりの利用者の場合、今までは移動・移乗が出来ないので「全介助」としていたものが、新しい基準で判定すると寝たきりの利用者は最初から移動・移乗の介助行為が発生しないために「自立」と判定されてしまう。こんな杜撰で馬鹿げた基準があるものかとケアマネは怒っていた。驚くべきデタラメだね。
 そして官僚は基準改訂の先に総介護費用の削減を目指していたことは疑う余地はないね。路頭に放り投げられる利用者や困惑する家族など知ったことじゃないというわけだ。この国の介護政策にあらためて疑念を持つ。
 ボクの訪問介護も利用者の介護度が低くなることによって、訪問の回数が減ってしまう利用者が多くなってしまうのは大問題だ。現場担当者としても理解に苦しむところがある。むしろ訪問回数を増やしてあげたい利用者が多いのが現実だ。お年寄りは次第に老いていくのだからね。

 七兵衛:ボクは厚生労働大臣の朝令暮改は「選挙対策」だと思う。これには二通りの解釈が可能だ。
 一つは「確信犯的」に自作自演したということだ。つまり民主党らの野党政権をどうしても嫌い身分保存に汲々とする官僚と自民党が結託して、このような一見評判の悪い基準を一旦出しておいて、それを自らの手で引き取るカタチを演出して、あたかも国民のために政府自民党が政治的判断をしたと手柄を顕示したという見方。
 そしてもう一つは、官僚と学者の作った介護認定基準がこれほどまで利用者の要介護度を引き下げることになるとは予想しておらず、あまりに現場の人たちから不評と批難を浴びたために慌ててそれを引っ込めたというもの。これも選挙対策と言う点では一緒だが。
 さらに勘ぐれば、この介護判定基準は総介護給付費削減のためにいずれ再浮上させるぞというジャブを国民の前に示したというものだ。仮に野党政権が成立したとして、そこにゲタを預けてしまえばいい、後は野となれ山となれだ。
 いずれにしても何をどう説明しても政権奪取を怖れている官僚と自民党の選挙対策の一環だ。マスコミもこの辺は今のところやや無理解で、マスコミに騒がれると選挙に大いに響くから、騒がれる前に厚生労働大臣が引き取ったというわけだ。

 早起翁:あなたの言うとおりだろう。それが一番分かりやすい。一方では介護職員報酬の引き上げのために3%の介護報酬の引き上げをしたものの、現場では施設職員の資格構成など縛りがあるためにかえって迷惑だという意見や、経営の懐に入ってしまうか借金返済に充当されてしまう、といった不評を買ってしまった。
 そこで介護職員の処遇改善のために補正予算で4千億円規模の予算を組んだという。これも選挙対策だ。補正予算はこれだけじゃない、呆れるほどのバラマキと大盤振る舞いと規模だ。選挙に負けないためには「何でもあり」というわけだ。しかし一事が万事、補正予算の裏づけとなる財源は皆無。そこで赤字国債の発行に頼るということは、次の世代に償還の責を負わせ、現政権責任者たちはトンズラするということだ。
 国家百年の計という政治の根幹思想はどこに行ったのか。野党政権を何としても遠ざけるために、国民の歓心を買うために真っ赤な予算をメチャクチャに組む、財源などは構うなと言うわけだ。天下の愚策としての定額給付金なども、その愚策の故に歴史記録に残るだろう…こんな程度の「政策」ならば凡庸な素人にもできることだ。一体麻生首相や政府自民党は何を考えているのか。そこまでして選挙に負けたくないのだろう。そんな動きと要介護認定基準の朝令暮改は軌を一にしていると考えれば、分かりやすいだろう。

 七兵衛:ところで介護現場で働く人たちは給料が本当に上がると信じているのだろうか。

 早起翁:詳細は知らないけれど「全く信用も期待もしていない、それよりも一人でも職員を増員して欲しいし、仕事量を減らして欲しい、お涙程度の昇給などはごまかしに過ぎない、介護福祉士の資格をもっている人たちに比べれば、現場を担っているヘルパーはいつも影の存在だ」と言った知人のパート職員の言葉に代表されている。処遇改善などは夢のまた夢というのが現実さ。
 特に若い人たちの離職は、給料の安さと昇給など期待できない現実に原因がある。だから我々のようなオヤジたちが定年を迎えてから介護現場に入ることに意義があると言うわけだ。家庭菜園をやったりカルチャーセンターに通ってダンスや手習い事など趣味の世界で新しい自分を発見するというのも涙の出そうな風景で反対はしない、個人の自由だ。でも介護現場にも目を向けたら、何がしかの意義、新しい自己発見もあるのじゃないかと思うよ。今の介護現場で若い人たちに向かって人生の将来を託せと言うのは、あまりにも酷なことばかりだからね。

 七兵衛:早起翁さんの言葉で気づいたことだけれど、麻生内閣支持率が上がったと言う。民主党小沢党首の秘書逮捕というのも、警察官僚のトップが内閣官房副長官に就任して、ターゲットを小沢党首の周辺に絞って洗い出させた「ヤラセ」というのが幾つかの週刊誌記事の基調だ。これは真実なのだろうとボクは思う。そして麻生内閣支持率は上がった。この元官僚の論功行賞は安倍内閣時代から続いているらしいが、これで再びウハウハの首相が居座る理由ができた。
 しかし、内閣支持率の世論調査というのも不思議なことに気づく。ヒマに任せてテレビを見て、図書館で新聞をくまなく見てみると、例えばNHKや保守的といわれる新聞などの麻生内閣支持率上昇の%は高い、それに比して幾つかの民放のテレビ、新聞ではそれらに比較して低く出ている。
 世論調査の方法や内容などは各社で異なるし、世論誘導することも可能だ。それに全て固定電話による意見聴取だそうだから、携帯電話しか持たない若い人の世帯は調査の対象からもともと外れている。つまり調査時間に在宅していて固定電話となると、必然的に比較的高齢の人たちや家庭の主婦の声が反映されることになる。
 世論調査というものも、そんな点から見ておく必要がある。比較的高齢の人たちは保守的で変化を望んでいない人が多い。だからボクはこの麻生内閣支持率の上昇という世論調査なるものは当てにできないものだと考えている。
 支持率が少々上がったからといって喜々として首相の椅子に座り続け、解散は首相の専権マターだとのたまう首相の顔を見ていると、こんな指導者を戴いている我々の不幸せを痛感する。国民はそれほどだましやすいものではない、もっと冷静に物事を直視しているさ。

 早起翁:『世界』5月号で、経済評論家の内橋克人さんと経済学者の宇沢弘文さんの対談を読んだ。対談では壊滅的な打撃を被っている世界経済はどのようにして再生可能か、そこで新しい経済学の構築はどのようなものであるべきかが主題だった。
 この対談で得心したのは、内橋さんと宇沢さんが小泉政権下の竹中平蔵らの腰巾着的な凡庸さを完膚なきまで批判している。竹中及びそれに連なる経済学者や経済人は小泉政権の「走狗」であったし、アメリカ経済に追随した会計原則導入や規制緩和政策が、非正規雇用の問題等をはじめとする今の日本の惨状をもたらしたのは事実だろうからね。
 そもそも政府の諮問会議とか賢人会議とか称する会議、これらは全て官僚が論功を狙って下敷きを作って結論ありきの会議だ。そこに学者先生タレントはノコノコと擦り寄っていく。彼らにとって見れば政府委員に任じられたことは大いなる名誉で、所属する大学・企業組織・地域の覚えがいいことに喜々としている。官僚にとってみれば彼らを引きずり出してTVなどに露出させ、権威付けのお墨付きを拝受して、施策に移すというわけだ。官僚や政府の魂胆が透けて見える。
 内橋さんと宇沢さんは、このような誘いをほとんど断わってきたと言う。この二人の見識から見れば、まさしく政府委員などは「走狗」以外の何者でもないということだ。ましてやこれらの会議で得た情報と情報操作によって利権も握れる。オリックスの総統などは郵政民営化関連の利権をガンガン引き出していたというじゃないか。今や政府委員会などはガス抜きのための無思想の走狗的組織だよ。
 だから今回の介護度認定基準作成にコミットした学者先生委員などは、即座に断罪されなければならないと思うよ。

 七兵衛:いいことを言ってくれた。竹中某などは政治経済学の「哲学」を初心から学び直すべきだろう。「私欲」は人間の本性だ、経済学はここから説き起こされる。ところが注目しなければならないのは、「私欲」が異常肥大した「強欲」というヤツだ。
 アメリカ経済を支配していたのは、詰まるところ「強欲」以外の何ものでもなかったことが証明された。AIG・GM・リーマン・証券メガバンク等々、全て経営トップとそれに連なる連中の「強欲」に基づく守銭奴的な「身分保存」と「搾取意思」と「虚偽・策略」が今回の経済破綻の引き金を引いたことが明らかになったではないか。しかも崩壊する社会を目の前にしてヤツらは巨額の報酬退職金を懐にトンズラした。
 オバマが大統領としても恥じ入り、そんな「強欲の矯正」を宣言せざるを得なかったところに、現今のアメリカ経済の病根があったのだ。全てをアメリカに倣えと言い続けてきた竹中某やその他の御用学者、経済人などはそのことを反省して恥じ、表舞台から退却すべきだ。小泉の経済財政諮問会議のメンバーであった中谷某はイケシャーシャーと自らの失敗を詫びたが、詫びればいいと言うものでもない。責任を取って一線からの潔い退却、それが指導者の哲学であるべきだし、学問をする人間の誠意と姿勢だと思う。
 同じ観点から、今回の要介護認定基準に関しても、一体どんな人間が関わったのか調べたいと思う。
 
 早起翁:元気の出ないことばかりでボクも落ち込むよ。でも現場は大変なことになっているし、もう少し頑張ろうと思う。七兵衛さんも腰痛が早く良くなればいいし、お母さんの遠距離老老介護もトンネルを早く抜ければいいね、お互いに頑張ろう。
 首をうなだれてしまうこんなニュースが続く中で、野球好きのボクにとってはWBCで日本チームが優勝したことが最近の唯一の朗報。この優勝の余韻で自分を慰めるしかないね。

 とまぁ、こんな会話で電話を切りました。あぁ嗚呼、日本の介護は未だ隧道の中、出口の光は未だ見えてこないのか。


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人が来る介護現場にも人が来る

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 辺見庸氏の話を久しぶりに聞くことができました(09年2月1日・NHK教育「作家・辺見庸・しのびよる破局のなかで」)。あらためて辺見氏の誠実と世界を見る怜悧な眼に驚かされました。TVや新聞の目線を意識しすぎて空虚な迎合言葉が多くを占める今の時節にあって、真実の意味深い言葉を聞くことができました。
 昨年夏東京秋葉原の街角で一人の青年が多くの人を殺傷した事件に、資本の論理と拝金思想が圧倒的な力で支配してきた現今の経済社会の破綻の予兆を逸見氏は見ていたのでした。番組で紹介されたこの青年の携帯電話に記された誰に向けたでもない言葉の断片は、孤独と絶望そのものを表していました。期間工として自動車部品工場を解雇されそうになっていたこの青年は、今私たちが生きている社会にあってバラバラに解体された部品としての扱いしか受けてこなかった、彼の生活空間では人間らしい温かみのある部屋も仕事場も存在せず、自身の世界もまたバラバラに壊されて続けて来ていたのだと辺見氏は断じました。
 そして希望、愛、優しさ、安らぎ、共感、癒し…といった人間らしさを表現している言葉は、毎日垂れ流されるTVなどの広告によって使いまわされ手垢がつき、これらの言葉を受取る我々も、そのような言葉の意味と実体は広告の中にしか存在しないと考えてしまう錯誤の恐ろしさを辺見氏は指摘しました。真実の意味と実体を伴った本来の言葉と人間の誠実が、辺見氏の言うように潔いとは言えない世界で使いまわされていることを直感的に感ずるが故に、鋭い感性をもった若者たちは、「真実の意味を伴っている言葉」も敢えて使わないのだろうかとも私は考えました。言葉が乱れているとまことしやかにのたまう会社の大人たちや、凡庸に昔を懐かしむだけの保守的な年老いた者たち、何よりもTVや新聞などのジャーナリズムにも責任の一端があることを私たちは自覚すべきなのでしょう。それが辺見氏の言う他者の“痛み”への想像力にもつながると信じます。
 辺見氏の話の内容は胸が塞がれるような現実の深刻さを指摘していたのですが、でも辺見氏はこんな禍々しい絶望的な状況だからこそ「(人間が人間らしさを取り戻せる)チャンスだ」とも語っていました。その言葉に、近著『愛と痛み-死刑をめぐって』で、辺見氏がマザー・テレサの無償の“誠実”と“愛”に“希望”を見ていたことを私は思い起こしました。
 それにしてもよく編集された番組でした。予告では1時間であったものがこの日の放映では1時間半の番組になっていました。公共放送で働いている人の中にも、辺見庸氏を登用してこのような番組を企画する人がいることに一抹の安堵がありました。脳卒中の後遺症で不自由となった右足を引きずるようにしながら「不自由というものも悪いことばかりじゃないよ」と語る辺見さんの健康を祈ることしきりです。

 昨年暮に5人のオヤジたちと忘年会。オヤジたちのうち七兵衛(私)は、義母の遠距離老々介護と腰痛の他にも病気が見つかり(年3回程度の検査で経過観察)、1年以上介護の仕事は休んでいますが、実はもう一人月庵氏が最近介護の現場を離れました。特養の介護のきつさと父親の介護とが離職の理由です。その他の3人、早起翁、星千里、北旅人の各氏は今も介護現場で仕事を続けています。ビールを飲むほどに話題は盛り上がり、おのずから今の日本の介護のありようが中心の話題となりました。5人の談義再録です。

 七兵衛:久しぶりの飲み会だけれど、皆元気そうでよかった。ところで月庵さんはなぜ介護の現場を離れたの?
 月庵:七兵衛さんと同じく腰をやられた。朝出勤前に何度も腰痛で起き上がれなくなって職場を何回も休み、職場に迷惑をかけてはいけないなと思ってしばらく休職することにした。それと一人暮らしの父親が要介護2でヘルパーの力をいただきながら生活しているので、そこにも力を割こうと考えた。辛い選択だった。
 早起翁:月庵さんがお父さんの介護で時間を割いているのなら、訪問介護事業者と調整して、月庵さんがご自身で介護報酬を得ることも出来るのでは。
 月庵:そのことも考えた。でも訪問介護事業者の職員とならなければできない。そうすると父親の介護ばかりに専念も出来ないし。結局父親の介護の時間がより自由にできる介護とは無関係の仕事場で今は働いている。
 七兵衛:それにしても酷い時節がやってきたものだ。サブプライムローンとかが引き金になって、ナダレのように金融経済破綻だ。そして続々と大手企業が率先して期間工の人たちや派遣労働者の首切りが始まっている。一体何が起きているのかを知りたくて、ヒマに任せて図書館に入り浸って片っ端から経済雑誌や月刊誌を読んでいる。書き手は大体がエコノミストとか称する都市銀行や大手証券企業のシンクタンクなどの研究員や大学の先生たちだが、いずれ共通するのは金太郎飴のような分析評論ばかり。上手く引用を重ねてシャッフルしてあたかも自分の分析のように書いている。恥知らずなヤカラばかりだ。予測不可能だったと言い訳を盛んにしている。誌面は大騒ぎしているだけだね。強いて言えばマルクス『資本論』新訳の書評が面白かった。忘れられていたマルクスの新訳が出るところに何かが象徴されているのだろう。
 星千里:最近の金融工学なるものは、かつての経済学のように倫理観のようなものは問わない。数式からだけ算出されたガイドラインに従って金銭を動かしてしまう。没倫理の世界というわけだ。そこで得たカネを回して儲かりそうな所に投資して、カネカネカネ利益利益利益と大合唱でやってきた毒のツケが体中を巡り始めたわけだ。だから簡単な解毒剤などはない。しかし市場経済から引き上げた余剰のカネはどこに隠れているのか不気味だね。虎視眈々と次なる獲物を狙っていることは間違いはない。オバマ新大統領が、経営危機に陥っていた銀行等が国から資本注入を受けた場合の経営陣に年俸の上限を設けた、すると取って返すようにこれら銀行の経営陣は国からの資本注入に相当する資本を市場から調達し始めた。この現象の意味するところは、銀行経営人の想像を絶する我欲だけの世界だ、恥も外聞も品性もない価値観が支配する米国金融界の荒涼たる世界だね、資本主義も末世か。平々凡々たるボクらの生活と無縁の世界か。
 北旅人:ところでここに来て多くの企業が派遣社員などの首切りをナダレのように断行してくると、就労できない人たちが沢山出てきた。そこで介護現場に就労させようという動きが盛んだけれど、どうなのか。
 早起翁:昔から景気が良くなるとKのつくきつい・汚い・危険・給料が安い・帰れない…あと何だっけ、そのような職場には人が来なくなると言われてきた。事実ボクたちの現場を見てきたが、介護の人材は決定的に不足していた。うがった見方をすれば、それだけ景気が良かったというわけだ。ここに来て、何が何だかわからないような経済破綻のような現象が起こって、非正規雇用の人たちがまず首切り。ひどいものだ。その人たちを介護現場に入ってもらおうというのも、失業を減らし雇用を確保するという行政の立場から言えば肯ける。しかし、よく考えてみれば介護現場で真面目に働いている多くの人たちにとって見れば、失礼な話だよ。おおよそ今の介護現場で起きている人手不足の原因は、介護が3K4Kの仕事場だということだ。このことは皆の意見は一致している。そこを雀の涙程度の介護料アップで解決などできる筈はない。それに今まで製造業の部品を相手にしてきた人たちに、介護という人間相手の仕事につかせるのはいかがなものか。
 北旅人:でもそのような人たちが少しでも現場に定着してくれれば、人手不足からしわ寄せの来ている現場にとっては福音かもしれないな。問題の根本的な解決にはならないだろうけれど。
 星千里:それに加えて貿易協定に基づいて来日したインドネシアの人たちが介護現場に就労を始めた。彼らの就労についても多くの問題を孕んでいるが、少なくとも既得権益にしがみついて外国人を就労させることに未だに反対している職能団体の姿勢などは、時代錯誤で恥ずかしい。ボクはこの方法自体には反対はしない。ただ介護福祉士の国家試験を日本語で1回しか受験できないことや処遇に問題は残されているまま、見切り発車で就労を始めた感は否めないな。
 七兵衛:もっと我々の問題に引きつけて言えば、定年退職した元気な男たちが介護現場に出ることも今後の重要なテーマだ。意欲があって健康であれば介護の仕事は我々でも出来たではないか。もっと男たちの介護現場への進出を促す方策があっていい。
 月庵:その通りだ。でも腰痛は覚悟しなくてはなー。

 このブログも、七兵衛自身の健康問題や老々介護、そして怠慢とが重なって1年以上もブランクが出来てしまいました。しかし日本の介護問題はこれからが本当の正念場。元気に活躍しているオヤジたちへの取材を通して、再度ブログを再開したいと考えました。従来のような「介護物語」にこだわらず、介護をめぐる様々な問題にもアプローチしてみようかと考えています。気まぐれな不定期便になるでしょうが。

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死は共に介護の達意瞑すべし


 6月21日の毎日新聞夕刊にかつての「ベ平連」の小田実氏のインタビュー記事。末期癌のベッドからの遺言のように読んだ。小田氏は次のように言う。「“小泉劇場”は自民党を“ぶっ壊す”だけだった。今は“安倍劇場”作りからやっているわけだ。中身は何でもいい。平和国家とか言ってそのうちメチャメチャやるよ。怖いね。」そして「(日本は)大国を目指すのでなく、憲法の下で平和産業を進めて中流になった日本が、一つのモデルを作ったんだ。」とも。重い病の床にあっても小田氏の眼は冴え冴えとしていて今の日本の現実を鋭く洞察している。インタビューの記者には、「おまえと会うのもこれが最後や。…小さな人間が世界を変えられる。その認識でやってくれ。」と語ったという。
 権力の只中にいる者は必ず中心から腐食を始め構成員から乖離し始める。そうした権力から常に最も遠くにいて、よりよい世界の構築を願い発言してきた小田氏の生き方が静かに光る言葉の数々。だが現在権力の中枢に座して大きな人間になったと錯誤し、美しい…と陶酔している暗愚の首相の胸には、小田氏の言葉は一つも届かないに違いない。
 今日は【北旅人】氏から、デイサービスの利用者のお年寄りから介護の真髄を聞く機会があったようです。
☆☆☆
 土曜日にはデイサービスを利用する人は少なく、職員も少ないのですが、この日も同様でデイサービスのお迎えもいつもの半分ほどでした。昼食後時間もありましたので、私は武田健吉さん(仮名)から、介護の真髄に触れるお話をゆっくり聞くことができました。
 今は一人暮らしとなった武田さんは、1年ほど前に夫人を亡くすまでの約5年間、脳梗塞の重い後遺症の夫人を一人で自宅で介護し続けたのでした。それだけでも驚きですが、何よりも介護の真髄を示す武田さんの体験や考え方に改めて私は胸を打たれました。介護保険制度に全てを委ねてしまったことで、いわば「介護の心」まで私たちは置き去りにして忘れてしまったのではないかと、痛みとともに深く反省させられました。少し長くなりますが、武田さんのお話の要点を再録しました。

《施設に入れればいいじゃないかと最初は軽く考えた。彼女は実に勝手な人だ、文句ばかりだ、施設に入所させて毎日1回見舞えばいいと思った。それにしてもひどい疲労感が続いた、これではボクの心身ももたないだろうと確信した。でも彼女は施設は絶対イヤだと言う、本当にわがままで勝手な人だった。じゃ訪問介護のヘルパーの人に来てもらえばいいと考え、試みにテストしてみたところ、やっぱりボクじゃないとダメだと言い張るのだった。それから約5年間、ボクは妻の死まで介護漬けの日々を過ごしたことになる。

 妻の介護の一日を話してみよう…朝は5時に目覚める。すぐに朝食の準備にとりかかる。昨夜風呂場に干しておいた下着やらタオルが乾いているので取り込みあとでアイロンをかけることにする。朝食は6時。その前に彼女は大体目覚めていて、車椅子で洗面所に連れて行って歯磨き、洗面台はビチャビチャになる。洗顔は右手だけでは不自由なので少し熱くした蒸しタオルでよく拭く。食事はベッドを少し起こして半座位とさせ、ボクが工夫して作った小テーブルの上にご飯、味噌汁、漬物、小鉢、スプーンなどを並べる。彼女は右手だけは動かせるがそれでも不自由なものだから、ボクが作った赤ちゃんのするようなよだれかけと胸には大きなタオルを掛けるが、こぼれた汁や飯粒でたちまち汚れてしまう。

 食事は一日3回とは限らなかった。認知症の症状が少し出てきてからは、つい先ほど食べた食事の片付けが終わったばかりなのに、「早くご飯を食べたい!」とボクを叱りつける。不自由な発音ながら感情を伝えようとする口はとても達者なのだ。彼女の食へのこだわりは不思議な生への執着のようにも思えた。今食べたばかりじゃないかと何度説明しても理解できないのだった。仕方なく再度食事を作ったこともある。一日8回もの食事を作ったこともあった。満腹することはないのだろうか不思議なことに必ず完食してしまうのだ。そのこともあって彼女の体重は増え続けて、病気になる前に比較すると見事な肥満体になってきた。そのうちにうまく話題を変えて食事から関心をそらすと、彼女は食事の催促を忘れていくこともわかってきたのだが。

 食事が終わるとお化粧の時間。彼女に右手で鏡を持たせて私がローションを塗ったり口紅を塗ってあげる。化粧なぞと笑われるかも知れないが彼女も毎日のそれを願い、ボクも化粧で一日を始めるという心持が大事だと今でも考えている。
 食事が終わって跡片づけの最中に「ネエ、ネエったら!」と私を呼びつけ不自由な右手で身体の下を指差しする。排泄の督促だ。失禁が何度か続いてからはオムツをすることは納得したけれど、排泄はボクがいる時には自分ですることを望んでいるので、車椅子を使って重い身体をトイレまで運ぶのだ。それにしてもあのウォッシュレットというのは革命的なものだと思った。もっとも排泄が間に合わなくてオムツに出してしまうこともしばしばだ。重い身体を寝返りさせながらのオムツ交換も重労働だ。これはやった者しかわからない。続いて着替え、洗濯、部屋の掃除、アイロンがけ、これで午前は終わり。

 息つく間もなく昼食の準備にかかる。昼食、跡片づけ、そして天気がよければ午後は車椅子で近所の散歩、散歩ついでにスーパーに立ち寄り食事の食材やら様々の雑貨などの買物を一緒に済ませる。散歩から帰ってきてから少しの時間が休息の時間、彼女は大体本を読みながら寝入ってしまうのが普通だが、昼間寝てしまうと夜眠れなくなるので、できるだけ話しかけたりして起こしておくのだが無理なときが多い。医師から睡眠導入剤を処方してもらってからは、夜の睡眠がとれるようになって彼女もボクも随分と楽になったように思う。そうこうするうちに夕食の準備だ。その前に乾いた洗濯物を取り込んでアイロンがけも欠かせない。

 そして夕食を終えると入浴。彼女もボクも風呂好きで毎日入らないと気がすまない生活をしてきたので、毎日決まって一緒に入れてあげることにしていた。二人で素っ裸になって風呂に入るが、彼女は体重があるので、ボクにとっては汗だくの入浴になる。彼女は右手が使えるので自分でも洗えるのだけれども、ボクにすっかり頼り切っているので怠け心が出てきてしまい、ついボクが身体を洗ってあげてしまう。七十もすぎてこんな恰好で二人して素っ裸になって風呂に入る姿なぞ想像もしていなかったね。初めは奇妙な感覚だった。ともかく滑りやすい風呂で転倒して二人ともお陀仏なんていうのはイヤだから、気をつけながら風呂に入れていた。でも風呂では髪を洗う時が大変で、時間もかかるしシャンプーが目に入るし、それで子どもが使うシャンプーハットのようなものを自分で考案して使った。その他にも妻の介護には自分で工夫した小物がいくつもあった。

 風呂から出ると彼女にタルカムパウダー、軽い化粧、ドライヤーで髪の毛の乾燥と、入浴は前後全て終わるまで一時間半はかかったろう。風呂を出ると二人ともホッと一息。昔からあまり二人ともテレビは見ない方だが、介護生活が始まってからはニュースやドキュメンタリーを見るようになった。そうこうしているうちに彼女に薬を飲ませて寝付かせるのが10時半過ぎ。睡眠薬を用いるようになってからは素直に寝付くようになった。彼女を寝かしつけてからは私一人の時間なのだが、日記というか介護日誌というか、そんなものを5年間毎日綴ってきた。実は最初のうちは気が狂うような気がして、たまらずに日誌に怒りのような感情を書き始めたのがきっかけで、これを書かなかったらボクら夫婦はあらぬ方向に行っていたかもしれない、狂いそうになる気持ちを日誌にぶつけたと言っていいかもしれないな。

 私たち夫婦には子どもはいなかった。こんなに長いこと妻の介護をすることになるとは思いもしなかった。最初のうちは彼女も私も疲労困憊の毎日で、彼女は自分の身体がままならぬので癇癪を起こす、ボクもどうしていいかわからず絶望する日々が続いた。身体も心もボロボロと言うが、まさにそれだった。施設への入所も拒否する、ヘルパーもダメ、二人だけで差し向かいあう暗い苦しい日々が続き、ボクも鬱症状が続き生きる意欲もそがれて行く日々が続いた。

 ある日ボクは言い知れぬ到達点に達した…そうだ、早晩自分も死ぬのだし彼女と一緒に死んであげればいいじゃないか、彼女と一緒に死ぬまで一緒にいてあげる、夫婦という他人が寄り添って何十年も生活してきて二人とも同じ瞬間に死を迎えるなんて、なかなか凄いことじゃないか、人間こんな至福は無いのかもしれないな、と考えるようになった。その途端に今まで鬱陶しくて苦しかった妻の介護が苦痛ではなくなってきた。彼女も苦しいのだからボクが共に苦しさを分けてもらって生活しよう…こう考えることができるようになったのは驚きだった。介護する・されることが二人の共生と考えるようになると、死も怖いものではなくなってきた、そんな感覚なのだ。それは彼女が倒れて介護が必要になってボク以外に介護する人がいなかったから到着できた地点だ。
 同時に一緒に死を迎えることなぞ無理なことはわかっていたが、でもその理想の瞬間をボクは楽しみにしてきたから妻の介護が続けられたのだと思っている。》
 ☆☆☆
  なお本ブログはおかげ様で2万アクセスを超えましたが、管理者の健康上の理由により、しばらく休止させていただくことになりました。又お目にかかれますことを楽しみにしております。 再見!


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肩寄せて生きる母子に風すがし

 
 萩の花が咲き始めました。今年はちょっと早い開花です。夕方には花は閉じますが朝には再び開いて蜜蜂が必ず蜜を吸いにやって来ます。

 敬愛する辺見庸氏が月刊『現代』5月号に「五月闇」と題して短文を書いています。暗愚の首相が暗愚を自覚もできずに日本の将来を美しい国にしたいとのたまう口吻と中身の不快さ、単純な理屈で憲法改正に突き進もうとする意思の先には血なまぐさい戦禍が透けて見える、というのが短文の要点です。ところでこの「五月闇」というのは季語。緑に満ちた清清しさがこの月の季節感なのですが、一方雲が厚く覆い陽の光も届かない暗い日もあってその陰鬱な日を「五月闇」と言うのです。暗愚の殿と考え合わせ今の政治状況はまさに「五月闇」だ、辺見氏はそう断じます。私も同感です。
 ところで私の駄句川柳風を一つ。「今日も又暗愚の殿のカエル顔」カエルのツラに何とやらを言ったつもりですが少しこれは穿ちすぎかな。ではもう一つ「池巡る汗落ち紫煙の清清し」。煙草のむ人ダメな人…というファッショ的な雰囲気が蔓延しつつある昨今、愛煙家の一人として煙草一服の爽快さを込めてみました。でも凡庸だな。
 さて今日の寄稿は【早起翁】氏からです。
☆☆☆
 武田ハナさん(仮名)は85歳、5年ほど前から膝と股関節に痛みが出て通院を続けてきましたが、手術をするほどでもなく経過。ところが1年ほど前から軽い認知症の症状が出てきたのです。武田さんのご主人は10年前に亡くなり、その後は長男との二人暮らしを続けてきました。長男は家庭をもったことがあるかどうかは分かりませんし、今までの訪問でも情報として把握していませんでした。でもこうした点はさしたる問題ではなく、母親の面倒を甲斐甲斐しくみる息子という点では、我々ヘルパーは一致した見方をしていました。息子の年齢は58歳。訪問介護は1年前から行われてきましたが、母親に認知症の症状が出てからは、母親の介護のために息子は仕事場を早期退職して、現在近くの工場でパートの仕事をしています。

 今日の訪問は、息子さん一人では容易ではないという理由から定期的な入浴が計画されていました。ハナさんは、ベッドからは一人で起き上がることは可能で、トイレは歩行器を使って一人で済ませることができ、食事もおおよそ一人で可能ですが、入浴は転倒や溺れることが危険なので一人ではさせず、計画書ではヘルパーの訪問時に息子さんとともに入浴させることになっていました。
 私は男性ということもあり、脱衣と身体を支えての風呂場への誘導、入浴後の着衣、ドライヤーでの髪の乾燥などを介助することになっています。風呂場の中では息子さんが背中など手が回らない部分は洗うものの、ハナさんは自分で出来る所は自分で洗っている様子です。
 入浴後は身づくろいを整えた後に、この日はごく近くの公園の散歩が計画されていました。普通ならば散歩→入浴の流れなのですが、昼間の入浴を好むハナさんの希望でこのような計画になっていました。散歩も医師からは1㌔程度のものならば、関節の痛みさえなければ実施していいと言われています。今日も関節の痛みも少なく計画書通りの散歩となりました。今日は息子さんは仕事はオフで天気がいいこともあり、彼も一緒に散歩に同行することになりました。数日振りに入浴ができてサッパリしたハナさんは、ベッドのある部屋の椅子にちょこんと腰掛けて、ニコニコして散歩に出かけるのを楽しみにしている様子です。
「武田さん、お風呂に入って気持いいでしょう。今日は息子さんもおられるし、一緒に散歩しようといっておられるので三人で出かけましょうね。」
 ハナさんはそう言う私には返事も返さず窓から外を眺めているだけです。でも顔の表情は穏やかそうです。

 息子さんは杖を持ち、私は手押し車にすがってゆっくり歩く武田さんに付き添って出発しました。公園への途中は坂道が多く武田さんの足取りもさらにゆっくりとなります。息子さんは私たち二人のずーっと前をハナさんの杖をもってゆっくりと歩き、時折振り返って私たちの様子を見守っていました。息子さんもヘルパーの私がハナさんに付き添っているので、安心して初夏の散歩を楽しんでいるのでしょう。
 公園に到着しました。公園は平日のため池の周囲にもちらほらと散歩をする人が見え隠れするだけで、閑散としています。でも池周回の土の道は凸凹が激しく、大木の根などが張り出ている場所もあり、手押し車のハナさんから目をはなすことはできません。私が常にハナさんのそばに付き添いました。でもハナさんは私たちと一言も口をきくこともなく、黙々と手押し車を押して歩を進めています。しばらく歩いているとハナさんが突然止まりました。ハナさんが顔を向けている方向に目をやると、そこには見事なアジサイが初夏の日を受けて紫色の宝石のように輝いていました。
「武田さん、アジサイがきれいですねー、今年もようやく夏がやってきましたねー。」そう話しかけると、ハナさんは私の方を向くとニコニコと穏やかな笑顔を見せて、ウンウンとうなづくような表情を見せてくれました。認知症の闇の中にいるとはいえ、ハナさんにはこの花の表情がとても嬉しいのでしょう。私も心が軽やかになります。

 しばらく歩いてから木蔭のベンチに三人して座り、池が柔らかな風に波立つのをみつめていました。すると息子さんが突然話し始めました。
「嫁さんがいてくれたら、オレもこんなに親の面倒を見なくて済んだかもしれないなー…」
 私は返す言葉が見つかりませんでした。
「いゃー、随分昔に嫁さんとは別れてねぇ、子どももいなかったので、そのままこうしてオフクロとの生活さ、でも未だにどうして嫁さんが別れたいと言った理由がわからなくてね、男一人母一人の所帯なんて淋しいもんだよ…。」
「でもお母さんはとても幸せなんじゃないですか、こうして不自由になったお母さんの面倒を見続けるなんて、誰にでもできることじゃありませんよ。」
 そう言いながら、私は息子さんが今まで話をしなかったプライベートなことを話してくれたことを嬉しく感じていました。
 ハナさんはそんな会話を続ける私たちのことを知らぬげに、じーっと池面をみつめたまま、時折池を横切る鳥の群れを目で追っていました。


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ああ介護ここにも守銭奴隠れおり


 今年も黙ってアジサイが咲いてくれました。野の百合空の鳥は紡がず耕さず(聖書)、木は…細かいことにこだわらず生きることの根本原則を説く(ヘッセ)、私が森へ行ったのは思慮深く生き人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったから(ソロー)・・・自然の悠久さについてのいくつかのフレーズが頭に浮かびました。
 咲けよとも言わないのに花々は黙って咲いてくれます。社会保険庁の積年の怠惰と不実、国民最後の一人までを大切にとぞっとするような模範解答しか語れぬこの国の宰相の口吻、介護事業最大手企業の虚飾と不正…あぁこんな禍々しい世界のことを知らぬげにアジサイは凛として咲き続けています。

 何はとまれ我々5人のオヤジたちは元気に介護現場で働いてきましたが、この5月に入って、とうとうというかやっぱりというか、二人の同人が腰痛で“倒れ”てしまいました。【月庵】氏と【星千里】氏です。実はこの我々のブログに着目してくれた「東芝けあコミュニティ」のサイトにこの4月から連載が始まったこともあり、久しぶりに5人全員揃って「研究会」(実はビールの飲み会)を開こうとしていたのですが、相前後して二人がダウン。ブログも研究会も、そのために1か月以上ブランクになりました。

【月庵】氏の腰痛報告。日報を書こうとしてテーブルの上の鉛筆を取ろうとした瞬間に腰痛発作、自分の聴覚にはズンという低重音が確かに聞こえた。しばらくそのままの姿勢で声も出ず四肢も動かせず脂汗がタラーリタラーリと流れ落ち、他の職員が側を通るのに声も出ず、彼らはどうしたのかと怪訝な表情で目の前を通り過ぎて行く…1、2分はそのままの状態だった。その後タクシーで帰宅したものの、夫人とは離婚協議中のため単身生活、食事もできずベッドに入り、そのまま夜を明かした。翌日タクシーで何とか病院にたどり着き、鎮痛剤とコルセットが処方された。そして横臥のまま3日間、トイレと食事は何とか済ませたものの“逃げた女房”が恨めしく、げっそりと痩せてしまった。「いいダイエットになった」と苦笑い。10日間休暇をとりその後現場に復帰。この日も腰を軽く「く」の字に曲げて同人の前に到着。

【星千里】氏の腰痛報告。デイサービスを終えてデイルームの片付けをしていた時、ゴミ箱を取り上げようとして腰をかがめた際にグキッときた。初めてではなかったものの、今回は重症だなと感じた。しばらくそのままの姿勢で痛みの去るのを待った。帰宅途中に自宅近所の鍼灸院に立ち寄り針治療。翌日は幸い休日だったのでいつものようにコルセットをしっかり装着して特養に入所している夫人を見舞う。歩行もままならない状態だったが、夫人は自分の腰痛には全く関心を示さず同情もしてくれなかったので落胆した。が、それも彼女の病気のためだと諦めて帰ってきた。針も直ちには効果は表れないので、5日間の休暇をとって、その後現場復帰。再発が怖いと居酒屋の畳に正座してビールのジョッキを開けていた。

 利用者の介護に明け暮れる我々も、何のことはない、介護が必要になったわが身を「研究会」では嘆くことしきり。他の三人も同様に腰の違和感を感じていて、全員が同病相哀れむこの日の「研究会」となりました。

 今回の「研究会」では、コムスンの件が明らかになった直後でしたので、議論はここに集中。今回は各人の本件に関する感想を採録してみました。それぞれ考えるところは異なるのが興味深い「研究会」でしたが、議論の後半はビールを飲みすぎたため各人ヘロヘロとなりましたので再録は不能でした。酩酊する前の各人のコメントを要約してみます。

【月庵】コムスンを束ねるグッドウィルグループの折口会長は涙の記者会見、しかしテレビの番組で田原総一郎さんが、涙を流してお詫びしたってそれで済むものじゃない、実体を会長が把握していなかったとは不届きで嘘だ、しかもコムスンの社長を辞任させるなどトカゲの尻尾切りと言われて当然、介護の理念とか言っても信用できない、詐欺に近い行為を今後正していく姿勢は疑問、と一刀二刀に断。僕も同感だ。会長はその後もテレビによく出ていたが、回答は支離滅裂、とかく介護業界では職員の処遇やら強烈なノルマ主義やらが問題視されていた企業だが、あの顔で「介護の理念」とやらをぶたれると、いささかムカつく。あの顔は真実を述べてはいない顔だ。彼はセフティネットという美辞を繰り返していたが空虚だ。どこかの国の首相と同じだ。

【星千里】グッドウィルグループ全体で06年6月期で売上高1859億円、営業利益78億円、コムスン等介護事業部門売上高636億円、営業利益9億円、これが昨年の介護報酬の改定によって、介護事業部門の決算は営業利益が今年は赤字になるとの予測もある。介護事業の売却の流れになって、あの会長は高級外車に乗ってベロを出してホッとしているのではないか。しかし株式の暴落など大きな傷を負ったが自業自得。

【北旅人】厚生労働省は介護保険制度の導入にあたって民間企業の参入を奨励した。その先陣を切っていたのがこの企業、65000人の利用者と24000人の職員を抱えている、しかも24時間対応ということで顧客も増えた。しかし24時間介護の体勢をとっている事業所は少ない。果たしてその体制維持は一企業の存亡の問題だけで議論されていいものだろうか。いずれにしても我々から言わせれば、現場の業務を真面目にこなしてきた職員が余りに報われない結果だ。折口某会長の映像を見るたびに、その不実さに吐き気がする。毎月数千万円の賃料を払って六本木ヒルズに入る介護事業者とは何者なのか。勘違いの王国だ。

【早起翁】コムスンの訪問介護事業部門は、ちゃんとした事業継続の引受け手が出てくるのだろうか。なぜならばおいしい収益が上がらないからだ。従って介護現場を支える者たちの報酬も上がらない、キャリアを積んでも昇給するのは難しい、優れた人材がどんどん介護現場から消えている、我々の腰痛に象徴されるように労働も過酷だ、外国人労働力の導入も日程に上ってきているが、姑息的な方法では根本的な問題解決は難しい。
何よりも有識者会議や美しい国といった虚飾をまとい喉の奥に棒を突っ込まれたような口吻で稚拙で無内容な駄弁を弄し、「国民の最後の一人まで…」とか「国民一人ひとりの気持に沿って」とか空虚な言辞で決意表明ばかりを繰り返している今の宰相に、介護問題に本気で取り組もうとすることを期待するのは間違い。

【七兵衛】厚生労働省が言いだしっぺで彼に叙勲した。だいたい勲章欲しがったりする手合いにマトモなことを期待するのが間違っている。経団連の理事にも納まっている。成り上がり者のルートだ。介護事業の先鞭をつけ顧客も最大の企業トップの人品というものがこの程度であったことは、規制緩和の美名のもとに全てを市場経済の流れに委ね拝金主義を増長させてきた今の日本を象徴する事件だと思う。福祉事業にはどうしても非採算の内容が伴うものだから、その本当のセフティネットをどう構築するのかが今の日本の政府に問われているのだと思う。社会保険庁の暗愚は論外として、年金問題とこの問題は軌を一にするものではないか。日本の将来設計に関わる問題であることは間違いない。

 と我々同人の表現は過激なのですが、私は彼らの目は節穴ではないし真実を言い当てていると思います。何と言ってもこの国の介護の将来が見えてくるまで頑張りたいな、と何度もビールのジョッキが音を立てました、各人腰をさすりながら。


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吾を棄つ仮面家族のネグレクト


 教育再生会議なる政府の諮問機関が“親学”と称して、子守唄と母乳で育児をする、テレビを見ずに観劇をする、早寝早起き…といった“家庭生活の指針”を出したそうです。いよいよこの国は本格的に狂い始めたなと私は感じました。なぜ狂い始めたのか…それは政治が個人の内面に土足で入り込みこみ始めたからです。心ある人の内部告発によって明らかになった巨大電力会社や生保企業、官僚組織等の経常業務の中に隠蔽されている道徳意識の欠如、倫理観なき拝金市場経済の頽廃を放置したまま、精神が醸成される家庭という世界に政治が物言いを始めたのです。歴史はこのような文化ヅラを装った政治の介入が悲劇的な結末をもたらしたことを教えてくれています。政府に名指しされ汲々としている教育再生会議なるものの構成メンバーの幼児性と愚顔。まがまがしい幾多の有識者会議なるものの存在と物言いを黙って見過ごすわけにはいきません。
 さて今日は【北旅人】氏からの寄稿です。現代の姥捨ては隠微なネグレクトに象徴されているのかもしれません。
☆☆☆
「どうせねー、ワタシなんかは役立たずだし、早く死にたいよ、皆がそう願っているのさ。それにこんな身体になって、人には迷惑掛けるし、楽しいこともないし…でも親子なんてそんなものかねぇー、戦後の苦しい時代にねぇ、飲まず食わずの時代に、乳も満足に出ないときにも、自分はろくな物も食べずに必死になって育ててきたのに、このザマかね。」

 後部座席から内藤さん(仮名)は、運転席の私に話しかけてきました。デイサービスを終えて次々と利用者が降りて、最後に残ったのが80歳になる内藤さんでした。内藤さんは、デイサービスに通い始めてから半年ほどになるでしょうか。自宅のマンションに息子さん夫婦とお孫さんが同居しています。ご主人は5年前に病気で亡くなり、しばらく一人暮らしをしていたのですが、1年ほど前にマンションの階段で転倒し大腿骨頚部骨折で入院して手術、退院後歩行が不自由になり、軽い認知症の症状も出てきたため、息子さん一家が同居するようになったのでした。

「早くお迎えが来ないかなーと毎日毎日仏壇でお祈りしているんですよ。息子家族と一緒に暮らすつもりなぞなかったけれどね、杖がないとままならない身体になっちゃったからね、仕方ないんですよ。孫と一緒と言ったって、何だか皆が私を避けているみたいでね。一緒に生活していていても、何か姥捨て山に棄てられているみたいでねぇ。身体が不自由なものだから、どこかに出かけるにも、いつも私は留守番ですよ。…ウチのお父さんは癌で亡くなったけれど、お父さんのように早くあちらに行った方が幸せだったかもしれないねぇ…。」

 姥捨て…車を運転している私は、そんな内藤さんの言葉にどのように返事を返せばいいのか戸惑いました。でも思い起こしてみると、私がお年寄りのケアを始めてから1年半ほどしか経っていませんが、内藤さんのような言葉を多くのお年寄りから幾度聞かされたことでしょう。それは一人暮らしのお年寄りばかりでなく、家族と幸せに暮らしているように見えるお年寄りからもしばしば聞く言葉なのです。

「内藤さん、そんなことはおっしゃらないでくださいよ。身体の不自由な一人暮らしのお年寄りに比べたら、内藤さんは幸せですよ。お身体が不自由になってから息子さんから一緒に暮らそうと言い出されたのでしょう。そんなこともままならない人に比べたら、少し贅沢かもしれませんよ。」
 と私は言葉を返しました。
「それはそうかも知れないけれど、何が幸せかはわかりませんよ。あなたが言うように、そと様から見たら幸せそうに見えるのかも知れませんが、かえって息子の家族と一緒だと、一人身の辛さが身に沁みるんです。一人暮らしのままデイサービスに行っている方がかえって私の場合はいいのかもしれないなと思う時があるんです。認知症だと言われてから息子も家族も私を避けているんです、孫ともロクな話をさせないんですよ、汚いものでも扱うようにね。余計に気をつかうところが多くてねぇ。疲れてしまって…」
「確かに同居生活というのは気をつかいますからね。外から見ているだけではわかりませんからね。でも息子さんのご家族も、きっと内藤さんが一日も早く一人で歩けるように、細かな気遣いをされているのでしょう?」
「そう感じたことは一度もないネ、邪魔者扱いですよ。こうしてデイサービスに来ている間、嫁などは清々しているんでしょうよ、認知症の邪魔なバアサンがいないから鬼の居ぬ間の命の洗濯をして…。私が帰るといやな顔をするのがわかるんです。心では姥捨てが望みなんでしょうよ…。」

 内藤さんのマンションが近づきました。私は内藤さんに杖をつかせて玄関に一緒に入り、玄関のインターホーンでお嫁さんを呼びました。しばらくするとお嫁さんが降りてきて、内藤さんを出迎えました。お世話様でした、と私の顔も見ずに無表情に一言言っただけで、内藤さんを引っ張るようにしてエレベーターに乗せ、やがて二人の姿は無言で消えました。
 何か私は見てはいけないような場面を見てしまったようで、内藤さんの心を思い遣りました。内藤さんのわがままとばかりは言えないなと感じました。幸せそうに見える家族との同居ではあっても、家族から無視されるような日々を過ごし、孤独の影を抱えて、やがて来る死の影をじっと見据えながら日々生きているお年寄りもいるのです。

 内藤さんを送り届けて施設に帰ってからも、私は内藤さんが言った“姥捨て”という言葉が引っかかり続けていました。そして『蕨野行』という村田喜代子さんの作品を思い起こしました。この作品は遠野物語に題材をとった姥捨ての民話、というより歴史上の事実としてあった事柄を題材にしたもので、六十歳を過ぎたお年寄りは全てがこの蕨野という集落に送られて自活し、そこで死までの時間を過ごしたという習俗をテーマにした作品です。この作品ではジジババたちの人間としての生々しい生活ぶりと、一人の老婆と嫁との心の交流が主題になっています。この作品は恩地日出夫さんの映画にもなりました。“場所を越えて心を通わせることは可能か”“死してなお魂が生きることは可能か”“彼岸に行ってしまった者と心を通じさせることは可能か”これが映画を作った恩地監督のメッセージでした。そしてこれら六十を過ぎたジジババたちの蕨野の集落の生活は“悲惨で滑稽でそれでいて高貴”と恩地監督は言っています。お年寄りを思い遣る含蓄のある言葉です。

 谷落としといった棄老の話は、洋の東西を問わずどこにでもある話だという南方熊楠の記述を読みました。深沢七郎『楢山節考』もこの棄老の物語としてよく知られています。先日はTVでオランダにも19世紀まで棄老の歴史があったことを知りました。内藤さんの言葉を思い出しながら、私は現代の豊穣の時代の棄老は、姿と形を変えて陰湿に根深く存在していると考えざるを得ませんでした。


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ああ腰痛厠で発作声も出ず


 池端のこの写真家が撮影しようとしているのは爛漫の桜花や諸葛草ではありません。コバルトブルーの羽とオレンジの胸をしたカワセミの飛来を待ち続けているのです。この鳥は水面すれすれを目にも止まらないほどの速さで飛翔して餌を捕捉します。その瞬間を私も何度か見ましたが、その俊敏な姿は動物の野生の美そのものです。この写真家は幸いにもこの後カワセミの飛来に遭遇してしきりにシャッターを切っていました。
 さて今日は【早起翁】氏からの寄稿です。我々ヘルパーにとっても、腰痛は他人事ではありません。
☆☆☆
 木島さん(仮名)は78歳の男性、およそ1年前に脳梗塞を発症して入院、退院後は近所のクリニックから2週に1回往診が行われています。木島さんの奥さんは3年ほど前に病気で亡くなり、その後は一人暮らしを続けてきたのですが、脳梗塞の発症後は後遺症のため要介護2となった木島さんを案じて、近隣に住む一人息子が同居や施設への入所を勧めても、「オレはこの家が一番いい」と言って、それらを拒み続け独居生活を続けてきたのでした。木島さんのお宅は二階建ての家に小さな庭がありますが、庭の手入れもしていないので庭も荒れ放題といった有様です。経済的にはそれほど困ってはいないので、食事は近くのファミリーレストランと月ぎめの契約をして1日2回配達を頼み、掃除は週2回民間業者のホームクリーニングサービスを利用しています。一日おき程度の入浴は自力で可能です。家の中では壁やテーブルを伝っての自立歩行は可能ですし、外出も我々介助者がいれば杖をついて可能です。

 今日の木島さんの訪問では、ベッドのシーツ交換、下着類の洗濯、上肢下肢の軽い運動とマッサージといった一連のサービスが計画されていました。
 お宅を訪ねると木島さんはベッドの上でいつものようにテレビを見ていました。このテレビというのも、こうしたお年寄りの楽しみではあるし時間つぶしにはいいのですが、一方的に情報が垂れ流されるだけなので、知的活動という点から見れば感心するものではないなと感じるときがあります。会社勤めの時代から読書に親しんでいた木島さんですが、体力の衰えとともに最近では読書もあまり関心がない様子です。彼に言わせれば「新聞広告を見ても読みたい本が無い。」
 ベッドの側のソファーでシーツ交換が終わるのを待ってもらう間、木島さんはテレビの新番組の話題ばかり持ち出します。彼も最近のテレビ番組の内容には批判的で、「実に下らない番組ばかりだが…」と言いながらも、あれこれと番組の話題を持ち出してきますが、私も野球の中継以外にはあまりテレビを見ないので、木島さんの話題には生返事しかできませんでした。

 そのうちに木島さんは「ちょっとトイレ…」と言って立ち上がり、壁を伝って廊下に出て、廊下の壁を伝ってトイレに行きました。私はその行動を見守り、彼がトイレに入るのを見届けると、再びベッドメイキングにとりかかり、それが終わると洗濯を始めました。洗濯物は晴雨に関係なく木島さんが乾いた洗濯物を簡単に取り込めるように、部屋の中に干します。
 洗濯を終え部屋にそれらを干していて、私は時間が経ったのをうっかり忘れていました。木島さんがトイレに入ってから10分ほどが経っていたのでした。少しトイレの時間がかかりすぎています。私は嫌な予感がして、トイレのドアの外から「木島さーん!大丈夫ですかー?」と声をかけましたが、返事がありません。私は青ざめました。脳梗塞の再発作でも起こしたら大変なことです。私はトイレのドアを叩くと、ドアに耳を押し付けて様子を伺おうとしましたが、それどころではないと思い直してノブを掴みドアを開きました。木島さんは内側からロックはしていなかったのでドアは開きました。

 そこには便座に座ったまま硬直したような姿の木島さんがいました。倒れてはいなかったので、幸い脳梗塞の発作ではないと一瞬ほっとしました。「木島さん、どうしましたか!」と声をかけると、木島さんはか細いつぶやくような声で「…腰が…」と言ったっきり動けない様子です。私は「腰が痛むのですか?腰痛の発作ですか?」と聞き直すと、彼は「…ウン、ウン…」とうなずいています。腰痛が起きてどうやら便座から立ち上がることができないのです。
 しばらく様子を観察してから、私は木島さんの両脇を抱えて抱えあげようとしましたが、彼はそれを遮るようにします。「…手で拭けないんだ…ちょっと待って…」と言います。“腰痛が起きた後のトイレではお尻に手が届かず肛門を拭くのに苦労した”という腰痛もちの同僚の言葉を思い出しました。私はペーパーを引き出すと、木島さんの身体を支えて腰を少し浮かせてから排便の後始末をしました。ウォッシュレットの便器はこんなとき便利なのでしょうが、あいにく木島さんのトイレは普通の西洋便器です。

 木島さんを便座に座らせたまま、数分間私はドアの外に立ち様子を観察しました。「…もう立てそうだな…」と木島さんが私の顔を見てつぶやくように言いました。どうやら少しは痛みがおさまった様子です。私は木島さんを抱えるようにして立ち上がらせると、ゆっくりとベッドに誘導して仰向けになるのを介助しました。そして木島さんに言われて、彼が腰痛の際に装着しているコルセットを箪笥から出し、腰にしっかりと巻きつけました。ベッドに横になった木島さんはフーッと一息つくと、「しばらく発作はなかったけれど、久しぶりに今日は参った、参った、世話をかけてすみませんナー」と言うので、私は「お医者さんに連絡とるようにしますか?息子さんに連絡しましょうか?」と聞くと、「イヤイヤいつものことなので大丈夫、よほどひどくなれば私が息子に電話入れますよ、心配かけてすみません。初めてのことではないし、いざという時には、ほれこの息子の買ってくれた老人向けの携帯電話を使いますよ。」と言って、私に何度も頭を下げてお礼を言いました。

 私は木島さんの腰痛が再発したことを事務所に帰ったら記録に止め、スタッフに報告することにしました。でも木島さんはそれほどの痛みを覚えていないらしく、テレビを見ながらベッドでウトウトとしはじめました。
 特にお年寄りには腰痛もちの人が多く、そのケアをする介護職にも腰痛もちが極めて多いという笑えない現実があります。たかが腰痛、されど腰痛の介護現場の現実です。


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入れ歯落ち訛りも聞けぬ吾れ無力

 
 庭の木瓜の花も黙って咲き始めました。人間は何も構ってあげないのに自然の摂理は見事なものです。
 城山三郎氏が亡くなりました。『素にして野だが卑ではない』『落日燃ゆ』『もう、きみには頼まない』など彼の多くの作品が書棚にあって今でも時々読み耽ります。昨日の毎日新聞夕刊で辻井喬氏が次のような城山氏追悼の文章を書いていて強い共感を覚えました。「…彼が描こうとしたのは、人間の志の高さが放つ輝きなのではなかったか。またその志を抱きながらも現実に敗れていく時の本質的な哀しさであったのだ、と僕は受取っている。…なぜ、自らの損得にこだわらず、大義に立って行動する人物がいなくなったのか。城山三郎は最も鋭くこの現代日本の病患についての問題意識を持っていた。…」稀有な経済人でもあった辻井氏であるからこそ、この言葉には重い意味が含まれていると私は思います。でも我欲への執着とさもしい守銭奴ぶりを遺憾なく露出してくれている数多の経営者たちには、きっと城山氏や辻井氏の言葉から届くものは何もないでしょう。彼らが信頼しているのは人間ではなく「カネ」で、彼らの人生もそれによって支配され続けているからです。これはまさしく「病患」です。だから彼らの裸像を鋭い感性をもった若い人たちが怜悧な目で見抜いていることさえ自覚できていません。この人たちの「病患」は日本を死に至らせる病ともなります。大義を忘れた政人の「病患」も全く同様であることは言うまでもありません。
 さて今日は【星千里】氏からの寄稿です。
☆☆☆
「8020運動」とは、80歳で20本の自前の歯を保つための健康生活を促すための運動だそうです。私の場合、親譲りの部分もあるのか、とてもとても80歳20本なぞ夢のまた夢のように思えます。その前に80歳まで生きられるのかどうかも、はなはだ覚束ない気がする昨今です。
 Tさんは83歳の男性、このデイサービス部門でも最も罹患者の多い脳卒中(脳梗塞)で半身の麻痺が残り、このデイサービスのリハビリ訓練室でも、週3回の来訪時には理学療法士の訓練が行われています。Tさんは車椅子を使うところまではいっておらず、杖での自立歩行が何とか可能ですが、腰もかなり曲がっていて、転倒には十分に注意するように指示されています。
 この日も私も理学療法士と一緒になって歩行訓練の介助を行いました。Tさんは脳梗塞の後遺症で言語がやや不自由なのですが、加えて東北の方言、さらには入れ歯がどうやら合わないこともあって、歯ぐきから入れ歯が外れそうな具合で話をするので、コミュニケーションをとるのにいつも苦労します。でもTさんはとても性格は陽性の方で、いつもニコニコと笑顔を絶やすことはなく、所内の人気者でもあります。

「…うー&△で…Ш#◇£Я…んだ」
 理学療法士に何か話しかけていますが、彼もTさんの言うことが理解できないらしく、耳をTさんの側に寄せて、言葉をよく聞き取ろうとしています。
「…!&%と…んだす…Ш#◇£Я…」
 私も側にいて一緒にTさんの言葉を聞き取ろうとしますが、やはり聞き取れません。Tさんはどうやらイライラし始めた様子です。
「…!&%んだ!…」と言い始めた瞬間、Tさんの口から入れ歯が外れ、ボトッと音を立てて床の上に落ちてしまいました。私はそれを拾い上げると、「Tさん、入れ歯をすぐに洗ってくるからちょっと待っていてくださいね!」と声をかけてから、手洗い場に行き、水でよく洗い流しました。そして滅菌タオルで拭いてからTさんのもとに戻りました。Tさんは入れ歯を私から受け取ると、何度も頭を下げて御礼を言っている様子です。そこには介護長が理学療法士から頼まれて、“通訳”のために来ていました。
「…!&%と…んだす…Ш#◇£Я…」
 Tさんは今度は介護長に向かって話を始めました。介護長は東北の同じ県の出身で、Tさんの通訳代わりでいつも駆り出されているのでした。介護長はTさんの口元に耳を寄せてしっかりと聞いています。
「Tさんはねぇ、忙しいところ悪いけれど、トイレに行きたいと言っているんです。リハビリを中断して、トイレまで誘導をお願いしますね。」
 そう言い残すと介護長は忙しそうに事務室に戻って行きました。私はTさんの側に寄り添いながらTさんをトイレに誘導しました。

 介護長はさすがプロとしての経験が豊かです。そのコミュニケーション能力には感服しました。この日のケアを終えてから私は介護長にそのコツを聞きました。
「別に大したコツなどというものはないですよ。長年の経験かなー。それとTさんの東北弁が同郷ということもあって感覚的にわかるのかもしれませんね。でも一番の問題は入れ歯が合わないことじゃないかしら、私はそう思います。かと言って入れ歯を変えるようにご家族に言うことも遠慮すべきですよね、結構総入れ歯もお金もかかりますしね。辛いところですね。」
「入れ歯がちゃんと合っていれば私にもTさんの話は聞き取れますかね。」
「えぇ、きっと聞き取れると思います。早口で話そうとしたり、焦って話をするようなときに入れ歯が外れるようですね。ですから今のままの入れ歯でやむを得ませんから、Tさんにも気持を落ち着くようにさせて、ゆっくりと話すように促して、よく聞いてあげれば、あなたにも聞き取れますよ。今度又そのつもりでやってみてくださいね。」
 このように介護長からは励まされましたが、さてお年寄りの訛りのある東北弁と外れそうな入れ歯の組み合わせは、難物にも思われます。でも介護長が聞き取れるのですから、私にもできないことはないだろうと気を取り直し、又Tさんとの会話に取り組むつもりです。“焦らせないこと・ゆっくり話をしてもらうこと…”私はそう自分に言い聞かせながら、できれば東北弁も聞き分けできればいいがなー、とも思いました。


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初句会笑いを取りし木瓜の花


 公園の池周回をしていたら一人のお年寄りに声をかけられました。春の訪れとともに開花を始めた草花や木々の話をしている中で、池の浮島の淵に咲いている丈の低い紫の花は「諸葛草」だと教えられました。私はブタクサだとばかり思っていましたが、ここの池の諸葛草はいささか知られているのだとも教えられました。
 さて今日は【月庵】氏からの寄稿です。
☆☆☆
 昨年9月終わりにTさんが主宰する句会の模様を寄稿しました。その時の季題は「秋桜」でした。その後も月2回平均でこの句会は開かれてきましたが、Tさんが年が明けて以来肺炎症状のような日が続き寝込んでいましたので、しばらく句会は休止していました。さらにいつも元気に参加していたSさんが、今年に入って寒さが募っていたある日に急性肺炎で亡くなったこともあって、メンバーも少なくなっていました。
 春の訪れとともにTさんも最近になって元気を取り戻し、元のように自立歩行で所内を散策できるようになったので、Tさんも句会への意欲を示すようになりました。誠に身体と知的活動は直結していることをあらためて私は知りました。

 ある日、ゆっくりとデイルームを歩いているTさんに私は声をかけました。
「Tさん、ずいぶんとお元気になってよかったですね。もう先生から普段の生活をしてもいいと言われたそうですね。そろそろしばらく休んでいた句会ができそうですね。」
「おかげさまですっかりこのように元気になりました。皆さんのおかげですよ。でもまだ外に出て散歩するには少し寒いし、しばらくはこの中でのんびりさせていただきますよ。句会もやりたいと思っています。でも今年になってSさんが亡くなったとか…私もベッドから出られないような状態でしたから、その話はずっと後になって聞きました。私なんかより元気だったのに…かわいそうですね…。」
こう言ってTさんは両手を合わせました。モグモグと経文を唱えている様子です。
「句会のメンバーも又減ってしまったし…でも句会を開いて欲しいという人もいますし、又近々開きましょうかねぇ。」
「そうですよ、無理されずにおやりになったらどうですか。」
ハイハイ、そう考えてみましょう。」

 その後Tさんは句会の準備を始めました。Tさんを含め4人になってしまったメンバーに声をかけ、新入りのメンバーを誘っていました。そしておよそ3か月ぶりの句会が開かれることになりました。この日、定例のようにデイルームの隅にテーブルセットされ、鉛筆と用紙が準備されました。新たに新しいメンバーのKさんも加わりました。それぞれが椅子や車椅子に座り句会の準備は整いました。
 Tさんが話し始めました。
「皆さん久しぶりです。今年になってから私も体調を崩してこの会も開くことができませんでした。この間、昨年新たに折角加わってくれたSさんが亡くなって…淋しい限りです。人生の旅には様々なことがあります。長生きすることが幸福なのかどうか、最近しきりに考えますね。でも生きているかぎりは楽しもう、そう考えて再びこの句会を開くことにしました。そして今日はKさんも俳句を作ってみたいとおっしゃるので、新たに加わっていただきました。
 ところで今日の句題ですが、「木瓜(ぼけ)」としました。このホームの庭でも朱の花をつけはじめています。気楽に皆さんやりましょう。初めてのKさんも気軽に定型の五七五に木瓜を読み込んで作ってみてください、色々お教えしますから。」

 5人のメンバーは鉛筆と用紙をとり、それぞれの姿勢で、それぞれの表情で作句を始めた様子です。しばらく静かな時間が流れています。Hさんは車椅子をデイルームの窓際まで動かしていき、じっと庭の木瓜の花を見ています。それを見たKさんも同じように車椅子でHさんのそばに行き、何やらHさんと話しこんでいます。
「ボケやボケ私のオツムのような花…これは思いつきだけれど、何だか俳句じゃなくて、川柳とも言えないバカみたいな句になってしまうなー、オレのは。俳句というのは、もっと真面目に作るものなんでしょ?」
 とKさん。Hさんが応じました。
「でも今のもいいじゃないですか。おかしくていいですよ。でもできれば木瓜は季節の花ですから、季節つまり春を感じさせるような五七五を今日は作ったらいいじゃないですか。始めは何でもいいから沢山作ってみることです。それからいい俳句を沢山読むことですよ。」
「ワタシなんぞ教養がないもんだから、上手くできるかどうかねー、でも何でもいい、五七五で並べてみようか。やってみると面白いものだねー。」

 久しぶりの句会は、その後各人が作った句の投句が行われました。Kさんが俳句を披露するたびに、皆は大笑い。笑いが起こるたびに、デイルームの他の利用者は何事が起こっているのか怪訝な表情でみつめていました。
 春の陽射しは本格的にここにもやってきた様子です。


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カラオケが本音だ今日も名調子


 庭の沈丁花です。東京では今日初雪が降ったとか、この寒さに震えていました。
 中医協がリハビリの期間制限の見直しの答申を行いました。対象疾患の見直しも行われ、少なくともいわゆる“リハビリ難民”といわれる人たちも救済されることになりましたが、果たしてこれで十分なのでしょうか。この答申の内容はこの4月から即実施されるのですが、その後も経過を見続けていく必要を感じます。でも多田富雄さんをはじめとする患者さんや家族の四十万以上の署名(“健康な世論”と私は呼びたいと思います)やジャーナリズムに押されて渋々調整した気配を感じないわけではありません。今後も注視していきたいと思います。
 さて今日の投稿は【七兵衛】からです。
☆☆☆
 雨の土曜日です。H君は養護学校高等部2年生、事務所の計画書では、自宅に迎えに行き、プラネタリウムを見学し、昼食後公園を散策してから帰る計画でした。でも公園の散策はこの雨では無理でしょう。何か他の計画に変更する必要があります。彼の意向も聞いてから決めることにしようと考えながら、H君を迎えに行くと、既に玄関の中で出かける準備を終えてボクを待っていてくれました。
 お母さんとおばあちゃんに送られて玄関を一緒に出ましたが、彼は傘をさすのが上手ではありません。傘の握り柄を持たずに軸を握ってしまうのです。ですから傘をすっぽりかぶったような姿になります。ボクは握り柄を持たせて傘を立てるように教えても、握る力が弱いのか、すぐに軸を両手で握り直してしまいます。成長してもこのように傘を上手にさせない子どもが時々います。でもそれほど濡れるわけでもなし、そのまま一緒に駅に向かいました。

 プラネタリウムのある科学館は、愛の手帳で半額で入場できました。雨のせいか空いていましたので、ゆったりとした気分で座ることができました。H君はプラネタリウムが好きで何度も来ているらしいのですが、今日は映像が流され始めてもボクの隣で何とはなしにソワソワモゾモゾして落ち着きません。途中で「トイレですか?」と小さな声で聞くと、「ウン」と返事を返しましたので、係員に断わって外に出てH君をトイレに連れていきました。ボクも連れションです。ところがH君はすぐにトイレから出てしまいました。「もういいのかい?もう終わったの?」と聞くと、「ウン」と答えます。一緒にトイレを出て、プラネタリウム館に再入場して続きを見ようとしましたが、H君は廊下に立ち止まったまま動かなくなりました。しきりに誘うのですが、彼は動きません。何かH君は思案しているのです。困りました。廊下のソファーに座って彼の今考えていることを聞き出そうとするのですが、コミュニケーションがとりにくいのは承知していますので、そのまま黙ってプラネタリウムの星座の話や星の話をボクは続けました。

 その時ボクは突然H君がカラオケが好きなことを思い出しました。H君のアセスメントシートにそのことが書いてあったのです。
「じゃぁ今日は雨が降っているし、公園の散歩も出来ないから、カラオケでも行こうか?」そうボクが言った途端、彼は急に笑顔を見せてうなずくと、ピョコンとソファーを立ち、ボクの手を強く引っ張って廊下を歩き出しました。
「そうか、君はカラオケに行きたかったんだ!そうだね?」と問うと、彼は首が折れそうなほど首を縦に何度も振りました。コミュニケーションがとりにくい自閉症の子どもと行動を共にしていて、このように考えが一致したとき、とても嬉しくなります。思わずボクはH君の肩を抱きしめました。

 彼の自宅のある駅の二つ手前の駅で下車してカラオケ店に向かいました。駅前のコンビニでお弁当を購入して、カラオケ店で食べることにしました。土曜日の昼過ぎでしたが、カラオケ店は空いていて、すぐに部屋を取ることができました。でもここでは愛の手帳は使えません。計画書に基づいて彼が持参したお金の残金を確認してから、1時間半の予約をしました。部屋の係の人に弁当の断わりを言ってお茶をもらいました。お弁当を食べ終わってからカラオケを始めることにしたのですが、彼はお弁当は上の空といった気配で、早く歌を歌いたいのです。ボクもH君と一緒になって“早ベン”を済ませました。

 弁当を食べ終わると、H君は早速分厚い歌の本を取り上げると、ボクの肩を叩いて指を指しました。それは何と北島三郎の歌が並んでいる場所でした。H君がどんな歌を歌うのか興味はありましたが、まさかサブちゃんの歌を歌うとは。でもよくよく事務所のアセスメントシートを思い起こすと、お父さんとよくカラオケに行くと書いてありました。だからお父さんの影響を受けているとすれば、納得できるのです。

「風説ながれ旅」「与作」「ソーラン鴎」「函館の女」「加賀の女」「纏」「無法松の一生」「北の漁場」…H君は一度もマイクを離そうとはしません。ボクが知っている歌を一緒に歌おうとするとイヤな表情をしますので、ボクは遠慮して歌の予約に専念することにしました。一曲終わると「Hクン、上手いネー!」と毎度拍手することも忘れないようにしました。するとH君は至極ご満悦の表情です。とても嬉しそうに表情をくずして歌うのです。まるで先ほどまでの彼とは別人です。でも、H君の歌はやや調子外れで若干音痴、歌詞もしょっちゅう間違えます。でもこれでいいのです。彼の人生の一瞬、こうして歌に熱中している時間はとても貴重なのです。
 そしてサブちゃんの歌をひとしきり歌い終わると、次は石原裕次郎、次は美空ひばりと、この日H君の演歌は時間一杯まで続きました。


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逢引は花の下にて春盛る

 
 今回の投稿のテーマになっている河津桜を、偶然近所の保育園の隣の敷地で発見。ご丁寧にも“河津桜”と手書きの札が添えられていました。聞いてくる人もいるのでしょうか。
 1日に発表された05年完全生命表によれば、日本人の平均寿命は、男78.56歳、女85.52歳で、5年前の統計より各々およそ1歳近く伸びていて、過去最高になったそうです。長寿社会の到来と言えば一言で終わりですが、今後のわが国の将来のことを考えると、長寿社会に対応した政策の質が問われていくことは言うまでもないのですが、それよりも我々一人ひとりの生き方・生活の仕方が問われていると考えるべきです。
 さて今日は久しぶりに【北旅人】氏からの投稿です。

 デイサービスの時間が終わりに近づき、利用者が帰宅の準備を始める時間になりました。この時間はいつも何となくザワザワするのですが、自宅に帰りたくないような気配を表す利用者もいれば、一刻も家に早く帰りたいという表情を示す人もいます。
 利用者の一人Mさんが私のところに近づいてきました。そして「チョット」と私を手招きします。そして私の腕をつかんでデイルームの隅にひっぱって行くと、ヒソヒソ声で話し始めました。
「今日はさー、ちょっと寄って行きたいところがあってねぇ、途中で降ろしてほしいんだよ。Kさんの家と一緒の所で降ろしてくれないかね、頼むよ。自宅まで届けなくちゃならないのは知っているし、ルール違反だということはわかっているけれど、Kさんとオレは送迎コースの最後の二人だし、他の人間にはわからないしさー。」
 こう言ってMさんは拝むように不自由な手を合わせました。

 実はその通りで、利用者の送迎は自宅→施設→自宅のルートを守ることが決められていて、それがルールになっています。そのルールに従わないと事故や失踪の恐れもあるため、当然のことなのです。
「私としてはルール違反になりますから、Mさんのご自宅まで送り届けることが仕事ですからね。困りましたねー。でも、どうしてですか?」
 そう私は問い返しました。
「…ウン、まぁ、それはわかるんだが…実は今日Kさんと話す機会があって、Kさんの自宅のすぐ近くに桜が咲いたと言うんだ。この時期にしちゃ早すぎるんだが、つい最近テレビでも見たが、河津桜と言ってね、早咲きの桜なんだが、それが五部咲きくらいになっていて、二、三本の木が見事な花をつけていると言うんだ。それを一緒に見に行こうとKさんと約束したものだからね。オレも一人暮らしの身だし、Kさんも一人の生活だろう、ついそんな話になってね。」

 Mさんは78歳、要介護1の男性で、脳梗塞の後遺症で軽い右半身の麻痺が残っており、デイサービスでは週2回の軽いリハビリが継続されています。一方のKさんは79歳の女性で、同じ要介護1、軽い脳出血の後同じ右半身の麻痺があります。共に現在では一人暮らしの生活が続いています。Mさんの自宅とKさんの自宅は、500メートルほどしか離れてはいません。ですからいつもデイサービスの日には、往復のコースは一緒です。

「Kさんはいいのですが、Mさんが途中で何か起きることが心配なんです。でも、わかりました、介護長に相談してみましょう。」そう私は言って、デイサービスの責任者の介護長のところに行き、この件を相談した結果、Mさんの心身の状況も悪くはないし、きちんと記録に止めることで了解をもらいました。そしてその事をMさんに伝えました。
「ありがとうよ、ありがとう。迷惑をかけるが、帰りは気をつけて帰るよ、そして自宅に帰ったら、電話を入れることを約束するよ。」
 Mさんはとても満足そうでした。

 帰りの送迎車の中で二人だけになると、MさんとKさんはすっかり安心したのか、急におしゃべりになりました。もっぱら話題は河津桜のようです。それとお互いがかつて見に行った桜祭りの模様やお花見の話題で盛り上がっていました。やがて、Kさんの自宅の前に到着しました。私は、KさんとMさんを送迎車からゆっくり降ろしました。お二人とも杖は欠かせませんし、敏速には動けませんので、降りるのに時間もかかります。

「ホラ、あの桜ですよ! あれが河津桜!」
 Kさんが、Mさんが下車してしっかり立つのを待って指差しました。その向こうの公園のような空き地に、紅く濃い色の花を大きく広げた桜の木が三本ほど立っています。春を待ちかねたように、それは喜びを表して晴れ晴れと咲いていました。
「気をつけて行ってくださいよ、Mさん後で電話を入れてくださいね。楽しんできてくださいね!」
 私がそう声をかけると、MさんとKさんはとても嬉しそうに微笑んで、私に頭を下げて挨拶をするようにヒラヒラと手を振りました。
 しばらく私は二人の姿を見送りました。その姿はとても仲睦まじい夫婦のようにも、恋人同士のようにも見えました。
 この日、事務所には夕方にMさんから電話が入り、無事自宅に戻った報告があったそうです。私にも御礼の伝言も残してくれていました。


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今は昔私は国体アスリート

 
 お雛様は、ほっと和やかになるので毎年飾っています。我が家の姫は還暦をとっくに過ぎた妻一人ですが、それでも姫は姫だと自分で言っています。
 過日「振込め詐欺」の被害者になりかかりました。参考になるかと思い、自戒を込めてその経過を記してみます。①まず長男が出かけた直後に彼の声を装って(少しくぐもった低い男の声、これが実に長男の声に似ていたと感じた)「携帯電話を落とした、新しい携帯電話を買いに行く」との電話。②約2時間後同じ男から電話があり「新しい携帯電話を買った、電話番号は○○である。皆の電話番号を変えておいてほしい。」。③30分ほどして金融業者と名乗る全く別の男から丁重な物腰で電話、「息子さんが今日支払期日の○万円を未だ支払ってくれない。至急息子さんに連絡入れてくれ」。④直ちに“新しい携帯電話番号”に電話すると、件の男の声で「確かに借りた、すまないが代わって払って欲しい、すまない」と返答。ここまで私は“少し息子にしては声が低いな、物言いがはっきりしないな”とは感じてはいたが、息子とばかり信じ込んでいた。⑤ここで私が金融業者に電話。「近くのATMに行き、そこから電話をくれ、振込み口座を教える」。ハッとここで“ヤバイ”と気づき私が「現金で持参する」と言うと「現金の授受はしていない、何分後に振込みできるか」と聞くので、「少し時間がかかる」と私は返事、「それでは困る、本来ならば午前中の約束だった」。そこで私は「ではすぐ手続きする」と言って金融業者の電話を切りました。⑥早速ネットでその金融業者を調べると、ありました、住所は異なるものの、間違いなくブラックリストにのっていました。そして息子の“元の”携帯に電話すると“本当の”彼自身が出て「それは詐欺だ、金は一切借りていない、警察に電話を」と言われました。直ちに警察に通報、金融業者等の電話を教え対処を依頼。15分後くらいに「金融業者」と「私の息子を装う男」から電話が入りましたが、受信拒否。
 以上です。「間違いなく本人であることを確認」が何よりも原則ですね。でも危ないところでした。ゆめゆめ警戒怠りなく。
 さて今日の投稿は【早起翁】氏からです。
☆☆☆
 今日の訪問先はKさん、78歳の女性です。お宅は公的住宅の1階にあり、Kさんは二つ年上のお姉さんと同居しています。お二人ともそれぞれ独身生活を続けてきたのですが、妹のKさんが5年前に脳出血で手術をし、右半身麻痺と言語の軽い障害が残って生活が不自由となったのを機会に、お姉さんとの同居生活が始まったのでした。Kさんは、起居動作やトイレ入浴、食事にもやや不自由なことから、週5日の訪問介護が実施されています。

「この人は、国体の選手だったんですよ、昔の昭和23年の第3回国体。そこで100メートルとリレーの選手でね。当時は、敗戦直後でしょ、皆食べることに懸命の時代でね、会場までたどり着くのも大変で、列車を乗り継いで開催地の福岡まで行きました。私もこの妹と一緒に応援に出かけろと父と母が言うものだから、一緒に出かけました。でも食糧難の時代なものだから、お米を持参したものですよ。それを県の選手団の人に渡して、ちっぽけな旅館とも言えない宿泊所で炊いてもらうわけです。そんな時代ですよ。」
 Kさんはそんなお姉さんの話をベッドで聞いていて、何か話をしたそうな表情を見せていましたが、意を決したような表情で話し始めました。
「それでもってねー…競争には負けてしまったけど…ずいぶん張り切って出かけたもので…女の人も参加する人はばかに少なくてね…男の選手のヒトにずいぶんモテましたよ…このあいだもテレビでマラソンをやっていましたけどね…ずいぶん時代が変わったなーと思いましたよ。着ているものもきれいだし雨合羽もコマーシャルが入っていてね…私のときは長いズロースのようなのをはいてね…この間はずいぶん女の人も、年寄りまで走っていましたねー。…」

 私は、Kさんの身体を抱えてお姉さんにも手伝ってもらって、ベッドのシーツ交換にかかりました。国体選手をしていた頃はずいぶんスマートだったろうな、と思いつつ、運動もあまり出来ないこともあって、やや肥満気味のKさんの体位変換をしながら汚れたシーツと新しいシーツを交換していても、私の呼吸はその身体の重さに息切れがします。
「…ずいぶん重いでしょ…運動もできないものだから、そう思うでしょ…」
 Kさんに私は自分が感じていた事柄をそのまま指摘されて、ついうろたえました。
「いやいや、Kさんなどはまだ軽いほうですよ、全然気になりませんよ。少し息切れしているのは、私も齢をとったからですよ、六十も近くなると、つい体力の衰えを感じますね。お気になさらずに。」
「私も少し痩せなくちゃと思っているんですよ、でもこの身体ではねー…体操や運動をすることもできないし…姉からも言われているのですが、一日三食を二食にしてみようかとも考えているんです。どうですかね。」
「でも、1日の食事の回数を減らすことより、栄養学的にはエネルギーの低い食品をバランスよく摂ることのほうが大切だと言われていますよ。回数だけじゃありません。調理するお姉さんはご苦労でしょうけれど、野菜を多くしたりして今までどおり朝昼晩の食事は摂られたほうがいいでしょうね。」

「そうですか…でもマラソンのテレビを見ていて…あの頃は私も何であんなにも走れたのだろうか、と不思議な気持になりました…当時の国体の参加章も取ってあるんですよ…記録用紙もありますよ…ネエサンちょっとそれを見せてあげて…。」
 そう言うKさんの言葉に、お姉さんはドッコイショと声を出して立ち上がると、窓際のドレッサーの引き出しを開け、そこから木の箱に入っているメダルと小さな賞状をもってきて私に見せてくれました。それと白黒の小さな写真。そこには国体の会場らしき場所で微笑んでいるお二人が写っていました。
「さて、どちらがKさんでどちらがお姉さんですか?」
「これが私でこれが妹ですよ」とお姉さんが答えてくれました。
「お二人とも若くで美人ですねー!」
 私がそう言うと、Kさんもお姉さんも、ハハハハハ、と明るい声で笑いました。仲良し姉妹の昔話は、それからも続きました。


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揺れる子の心の世界石を喰う


 庭の梅が満開となりました。ところでTVなどの天気予報の当らない日が目立ちます。気候の変動が今年は大きいからと言うのは天気予報士の言い訳です。予報だからと言ってヘラヘラと笑いながら予報はするな、プロらしく厳しい予報をしろ、そうでなければ予報などするな、です。昨日は小学生の下校時に、雨に濡れている子どもや友達との相合傘で家路を急ぐ子どもを見かけました。子どもたちが急いでいてクルマが目に入らなかったら危険だなと、大いに気になりました。もともと予報ですから僕はあてにしていませんが、天気予報士というプロが出現してからは予報の精度は上がったのでしょうか。子どもが学校に行くときに、その天気予報を信じて子どもを送り出すお母さんもいるのです。
 さて今日の投稿は【七兵衛】からです。環境が変わって動揺する子がいるのは当然かもしれませんね。
☆☆☆
 T君は養護学校の小学部6年生、自閉症の少年です。年齢に比して体つきは小さく幼い感じがします。とても愛らしい表情をいつも見せていますので、ガイドヘルパーの若い女性には人気があります。“彼と話していると、いつも何か教えられる”と私に話してくれた女子大の学生さんがいました。それと彼女は、T君のお母さんにも感銘を受ける場面が多くあるそうです。T君は母一人子一人の家庭で、お父さんとはかなり前に離婚したそうですが、彼の世話と生活のために懸命に働くお母さんが、暢気に大学生活を送っている彼女には、異世界の力強い女性に見えるのだと彼女は語っていました。
 このように女性のヘルパーに人気のあるT君は、とても甘えん坊の印象で、自傷や他害もなく穏やかな少年です。ところが最近中学部への進学を前にして、やや落ち着きが無く、以前とは少し行動に変化が出てきたことが、アセスメントシートに新しい情報として書き込まれました。我々のガイドにあたっては、ガイドの前にこのシートに必ず目を通し、こうした変化情報を取り入れて対応することが求められます。ただしT君の場合、その変化が具体的にはどのようなものなのかは記されてはいませんでした。

 今日は養護学校のバス停にT君を迎え、そこから歩いて公園に行って遊び、お母さんが仕事から帰宅する時間に合わせて帰宅する計画でした。ボクは定刻より20分ほど早くバス停に到着しました。バスの都合や交通の状況によって、学校のバスは遅くなったり早まったりしますので、少なくとも現場には早めに到着している必要があります。今日は、街中の渋滞に巻き込まれた様子で、養護学校のバスは到着時刻より10分ほど遅れて到着しました。ところが、いつもはリュックサックを背中に勇んでバスを降りてくるT君が、今日は降りてきません。ボクはバスの中に乗り込み、多くの子どもたちの中からT君を探し出しました。送迎の先生がT君を降りるように促しているのですが、T君は座席から立ち上がる気配を見せないのです。

 送迎の若い女の先生は、近づいた私の耳元でささやくように言いました。「この半月ほど前から少し落ち着きがなく、このように動かなくなるときがあるのです。」
 ボクも先生と一緒になってT君を降りるように促しました。T君は無言のまま前を見つめているだけです。しばらく先生とボクはT君を下車させるべく声がけを繰り返しましたが、やがていきなりボクの手を握るとおもむろに立ち上がり、バスの通路をグイグイとボクの手を引いて進んでいきました。先生はボクの顔を見てホッとした表情をしています。先生や運転手の人や友達に「さようなら」の挨拶を促すと、T君は小声で「サヨナラ」とうつむいたまま応えました。

 バスが走り出すと、T君はいきなり走り始めました。そして突然止まったかと思うと今度はしゃがみこみ、地面をしきりにいじり始めました。ボクは彼に追いつくと、T君の手許を覗き込みました。彼はどうやら小さな石ころを握っています。するとT君はおもむろにその小石を口に入れたのです。いくつかの小石をT君は口に頬ばっているではありませんか。一瞬のことでした。ボクは彼のその意外な行為に驚き、心臓がパクパクし冷汗が出始めるのを感じました。
「石なんか食べちゃいけないよ! 食べられないんだ! 早く口から出しなさい!」 こうボクは大声で叱声するのですが、T君はニヤニヤするだけで言うことを聞きません。ボクが指を彼の口に入れようとして彼の口に持っていくと、ようやく彼は小石を吐き出しました。3~4個の小石が口から吐き出されました。
「どうして?」とT君は聞き返しました。なぜ石を口に入れてはいけないのか、その理由を聞いているのです。ボクはどう話していいのか返事に窮しうろたえました。
「石は食べられないんだ、石を食べたりすると、お腹が痛くなる、お腹の中に詰まってしまって、病院に行ってお腹を切って手術をしないと取れなくなるんだ。だから石は絶対に食べてはダメなんだ。」
 ボクがこのように言っても、彼は納得したのかどうかわかりませんが、この日二度と石を口に入れるような行為はありませんでした。

 T君のこのところの不穏な何かがこのような行為を誘っているのだろうとは考えました。ボクはこの日、専門書を開き調べてみました。するとこのような行為は「異食行為」とも言うべきもので、繰り返されることもあるので、よく説明を繰り返し、理解させることが必要だと書いてありました。事務所への報告をすると同時に、職員にアセスメントシートへの記載をお願いしました。
 T君の不穏が納まって、元の愛らしいT君にきっと戻ることを信じています。


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エプロンを着けよう夕餉の支度時


 この日曜日に東京マラソンという催しがありました。雨中にご苦労なことよと思いつつ、TVのニュース映像を見ていて空恐ろしくなりました。行政が呼びかけた一つの催しに三万人もの人間が浮かれて群れて走っている姿に“孤独な群集”のイメージを重ねました。皆で走れば怖くない・正しい…でも集団で迷惑を及ぼしてもいました。彼らを冷笑している人もたくさんいた筈です。群れて走った人たちを妬む気もさらさら起こりませんが、走るなら人に迷惑をかけず静かに独りで走れ。私はそうしています。
 さて今日の投稿は【月庵】氏からです。彼もこの職場で1年が経過したそうです。
☆☆☆
 Sさんは83歳の女性、この特養には入所して1年ほどになります。2年ほど前、脳梗塞で倒れたのがきっかけで認知症の症状が表れるようになりました。ご主人は10年ほど前に病気でなくなっています。認知症の症状は病院を退院してから半年ほど経過してから出現し始めました。ちょっとした買物に出かけた折に失踪したり、夜中に徘徊する、突然大声を出して騒ぎ始めるといった異常行動が出始めたのでした。同居している息子夫婦も困惑し、この特養に入所することになったのです。

 Sさんは入所以来入所者とのトラブルが絶えませんでした。大声で入所者を叱声するような行動が続き、入所者からも敬遠され続けてもいた様子です。いつもデイルームや廊下を徘徊し、じっとしていることはありませんでした。でも暴力的とも言えず、他人に危害を与えるようなことはなく、Sさんの行動特性として職員も認識していました。脳梗塞の後遺症で言葉は不明瞭で、そのもどかしさがSさんの行動特性に反映していたのかもしれません。

 そんなSさんが、この日の夕方に奇妙な仕草を私に見せつけるようにしています。口では何か表現したいのでしょう、しきりにウーウーと声を発し、私に向かって話しかけようとしています。そして、デイルームの椅子の上に置いてある小座布団を腰に押し付けて、その紐の端を自分の腰に回そうとしているのです。しばらく私はその行為の意味が理解できずにいました。
「Sさん、そろそろ夕食ですから、その座布団は椅子に置いてくださいね、紐で結んでおかないと、すぐに落ちてしまうから、ちゃんと結びましょうね。」
 そう言ってSさんから私が座布団を取り上げ、椅子に紐で結び付けようとすると、Sさんは首を横に振って、私から座布団を奪い取りました。そしてしきりに腰に結びつけるようにするのです。

 私は、そのSさんの仕草をしばらく見ていましたが、突然気づきました。その仕草は、Sさんがエプロンの紐を結ぼうとしているのではないかと思ったのです。
「Sさん、それはエプロンですか?」
 そう言うと、Sさんは頷くような表情を見せて、再び座布団の紐を腰に巻きつけるようにします。私は、ハッと思いつきました。そしてSさんを待たせておいて、デイルームの隣の食堂に行き、夕食の準備に忙しい調理担当の職員に断わって、調理場に吊り下げてある一枚のエプロンを借りてSさんのところに戻りました。すると普段は表情が硬くどちらかと言えば無表情のSさんの表情が一瞬変わり、顔の表情が解けたように和らいたのです。そして手にもっていた座布団を椅子に戻すと、私の持っていたエプロンを奪い取るようにしました。そしておもむろにそれを自分の腰に巻きつけるような仕草をしたのです。
 でもSさんは、自分では上手くエプロンを身につけることはできませんでしたので、私がエプロンを首にかけてあげて、紐を腰で結んであげました。するとSさんは、私の手をとると、調理場の方に導いていきました。そして調理場に入ると、調理や盛り付けをしている職員の間を動き回って、何かしたそうにウーウーと言葉を発しては両手を差し出しています。

 私は、主婦として何十年もつとめてきたSさんが、毎日毎日この時間に家族の夕食の準備に取りかかっていた主婦の意識が突然再生したのではないかと直感しました。私に向かって、何かもどかしそうな表情を見せて、調理場の仕事を手伝いたい素振りを感じたのです。それはとても感動する場面でした。
「Sさんは、夕食の支度をする時間なのですね。わかりました。では、食堂に私と一緒に行って夕食の準備を手伝ってくれますか?」
 こう私が言うと、何とSさんはこっくりとうなずいたように私には見えました。そして私と一緒に食堂に戻りました。そして早速夕食の準備の手伝いを始めたのでした。手許も覚束ない様子でたどたどしくゆっくりとですが、テーブル食器を並べ、箸を出している様子は、すっかり家庭の主婦のそれです。

 この日以来、Sさんは気分の良い時だけですが、夕食の時間が近づくと職員にエプロンを持ってくるように促し、夕食の準備の手伝いをするようになりました。でも不思議なことに、手伝いをするのは夕食の時だけです。朝食や昼食の際には、いつも知らん顔のSさんです。


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命綱絶つのか政人よ暗愚の使者よ


 私の庭の白梅が咲き始めました。近くの公園や近所のお宅の庭の梅に比べて開花は毎年遅いのです。花も私に似てどうやら“オクテ”のようです。しばらくこの花の細やかな表情とふくよかな香りを楽しむことができるのが私の密かな喜びです。
 ところがそんな悠長な感慨に耽ってはいられません。私の敬愛してやまない多田富雄さん(免疫学者、東大名誉教授)が、文藝春秋3月号に「鶴見和子さんを殺したのは誰だ」を寄稿しています。これを読んで今日の投稿を決意しました。

 リハビリの期間打ち切りの問題については、私もこのブログで何度かその非道さと暗愚な政策立案者の責任を問いてきました。昨年9月28日には【星千里】氏も投稿で次のように書いています。
「…Kさんや他の利用者を引き合いに出すまでもなく、専門家の見方でもリハビリテーションの効果は絶大であることが証明されています。にもかかわらず今年からリハビリテーションの期間が限定的になってしまって、専門的なリハビリを受ける期間が6か月を基準に設定されてしまいました。障害回復に関わる時間というものは、一般的にはそんな短期間で完結するものではないのです。専門家や患者・家族はそのことを十分理解しています。一体この国の医療・福祉政策はどこを向いているのでしょうか。このような施策がいつの間にか実行されてしまうことに恐怖さえ覚えます。耳を覆いて鐘を盗むかのような仕業ではありませんか。医療費削減の至上命題があるからといって、余りに思想と思慮を欠いている。行革の御旗のもとに市場経済に大きな価値を置き多くを委ねてきた野合政権の意志、官僚の暴挙とも言えるのではないか…。Kさんと、風呂に入る・入らないの押し問答をしていてこんな現実を考えていました。」

 多田さんは免疫学者、鶴見さんは社会学者として著名な方です。お二人とも脳血管障害で倒れられて後、重い後遺障害が残ったのですが、知的活動は大いに盛んで、お二人の往復書簡から構成された『邂逅』(藤原書店)には、私は深い感銘を受けました。往復書簡はお二人の学者としての学問的な議論が中心なのですが、同時に人間や社会、世界の探検家としての深い洞察が交錯していて刺激的な内容に満ちています。お二人とも身体の具合が決して万全でない中、必死にペンを取りパソコンに向かって書簡を交わされていたのでしょう、その身体の苦しい息遣いも伝わってきます。

 多田さんは昨年4月、朝日新聞に「リハビリ中止は死の宣告」という投書を送り、この制度改定の不当さを訴えたのでした。そしてこれが大きな反響を呼んで全国的な署名運動に発展しました。そして僅か40日あまりで45万人にものぼる署名が集まったのでした(この事実も昨年9月の本ブログでも少し触れました)。そして6月には、多くの患者さんとともに多田さんが車椅子で全く不自由な身体をおして厚生労働省に出向き、その膨大な署名を届けたのでした。その場面の映像を私はTVの報道で見ました。鶴見さんの死は、その直後の7月のことでした。ところが厚生労働省では、国民のおよそ三百人に一人が署名したこの署名を無視し続けました。

 多田さんは文藝春秋にこう書いています(全く不自由な身体で、パソコンに長い時間向かって書き続けた筈です。おそらくこの雑誌の文章にしても何十日間もかかったと思われます。)
「(鶴見さんの)直接の死因は癌であったが、リハビリの制限が、彼女の死を早めたことは間違いない。その証拠に、彼女がどんなにこのリハビリ制限を恨んでいたかがわかる、痛ましい二首の歌を残している。
 政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ 生きぬく道のありやなしやと
 寝たきりの予兆なるかな ベッドより起き上がることのできずなりたり」
 そしてさらに多田さんは、リハビリの期間制限に関して彼女の書簡の一文を紹介していますので、再引用させていただきます(『環』26号、藤原書店)。
「戦争が起これば、老人は邪魔者である。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。」
“漫然としたリハビリ”とか“訓練人生”と揶揄しながらリハビリを打ち切る理由付けをした輩たちを、多田さんは「患者の生きようとする意欲に対する冒瀆」だと言い切っています。その通りだと思います。

 世論の沈静化を待っていた厚生労働省が昨年暮、リハビリを一律に打ち切るのは不適当だとして、利用者を医療保険から介護サービスに移行させよ、という通達を出したそうです。介護保険の通所リハビリ施設が全国に六千か所も設置されているからそこで受ければいいという趣旨なのだそうです。しかし多田さんは「全国で六千という数字はにわかには信じ難い」と書かれています。多田さんは、なぜ信じ難いのかという理由をご自身で解明されています。私は、多田さんの言い分が正しいことを、私が関係している施設の現実を引き合いにして論証します。

 私の施設では介護保険制度の見直しに基づいたいわゆるパワーリハを開始させるべく、大きな借金をして訓練機器を購入して、昨年4月から要支援や介護度の低いお年寄りたちのリハビリをスタートさせました。しかし、私を含めてこの業務に携わる職員で正規のリハビリテーションの教育訓練を受けた者は一人もいないのです。私自らがこのような業務を見よう見まねで実施していて、「こんなものでいいのか」と日々疑わしい気持で業務に携わってきた現実があるのです。行政は黙認しています。
 週1回(!)はリハビリ専門の理学療法士が午前中の数時間来所して、訓練の必要なお年寄りに訓練を実施していますが、これも一人の利用者に割り当てられる時間は限られ、全く不十分なのが実情です。リハビリに携わる理学療法士等も絶対的に不足しているので、きちんとした評価に基づくリハビリテーションなど、将来にわたり可能になるとも思われません。
 厚生労働省が私のような施設を含めての六千か所ということであれば、それは“詐欺”です。国民を愚弄するに等しい事柄です。多田さんの言われるように「真っ赤な嘘」です。しかも介護保険の対象者にもならず医療保険の打ち切りによって生じた「リハビリ難民」も増え続けています。このようなもっともらしい詐欺的な政策を立案した者を暗愚と言わずして、何と称したらいいのでしょうか。

 リハビリの期間制限は、リハビリテーション医学会の調査報告や意見書、何よりも患者・家族の声に耳を傾けて、この乱暴な施策を直ちに廃止すべきです。こうしている間にも、リハビリを打ち切られてしまった患者は増え続けているのです。その結果障害が進行してしまった患者に対して責任をどう取ろうとするのか、衰弱死してしまった人たちの生命をどう償ってくれるのか、多田さんが言われるように、この問題はまさに「医の倫理」の危機といわざるを得ないと私も思います。
 でもこれが“美しい国”の現実なのです。戦地にも赴かず、障害をもった家族ももたず、この現状に苦しむ患者や家族に対する想像力も欠如した“政人”に、この国を委ねざるをえないことを、私は今更のように恥ずかしく思います。


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家に残す立ち行かぬ子や母哀し


 いつも散歩している公園の紅梅が咲き始めました。例年より早い開花だと思います。本当に今年は冬をスキップして春が到来した気配ですが、何故かこうなると落ち着きませんね。本当に地球は温暖化しているのでしょうか。
 昨年の夏、介護同人のオヤジたちとビールを飲んでいて“何かオレ達にしかできないことで、介護に関心をもつ人たちに、ささやかでもいいからメッセージを送りたい”という話からこのブログをスタートしたのが昨年9月。いつまで続くかという不安も大きかったのですが、野次馬同人たちの協力でようやくここまでたどり着き、閲覧者数も過日の60本目の投稿直後に10,000件を超えました。もちろんこれら閲覧者が全て介護に関心のある人たちとは限りませんし、この数そのものも目安にしかすぎないことは承知していますが、いずれにせよここまで続くとは誰もが信じてはいませんでした。同人たちから寄せられた素材や原稿が、果たして管理人の適切な調理で食卓に並んだかどうかも甚だ心許ないかぎりです。
 そもそもこのブログは、介護を目指す高齢男性諸氏へのメッセージとして発信してきたつもりですが、内容が成功しているのかどうかも不明です。団塊世代の大量退職とか騒がれていますが、もし仮にこの世代の人たちが多く介護現場に進出し、新たな介護力として機能するならば、日本の介護問題の一端は解決されると我々は考えています。それを信じてオヤジたちからオヤジたちへのささやかなメッセージは今後も発信し続けるべきだ、というのが我ら同人たちの一致した意見。ですから管理人としても親しい友人の死や老老介護の現実にションボリしているわけにもいきませんね、トホホホホ…。
 さて1万アクセスを超えた61本目の記念すべき寄稿は、特養に勤務する【月庵】氏から。気持を新たにして、いざ参りましょう。
☆☆☆
 Sさんはこの特養に入所してから5年ほどが経ちます。つい先月に施設内で卆寿のお祝いを受けました。腰は九十度に曲がって見えるほどですが、施設の中では自立歩行は可能です。ここ数か月で急に認知症の症状が進みましたが、今日もデイルームをチョコチョコ動き回って、しきりに入居者に話しかけています。
 今日は冬の陽射しも暖かく風も凪いでいる気配なので、数人の利用者と連れ立って近所の公園に散歩が計画されています。Sさんは外では自立歩行が危いので、車椅子での散歩です。Sさんの車椅子担当は今日は私です。暖かい陽射しがあるとはいうものの風は冬の装いですので、厚いセーターと防寒のコートを着せて出発しました。自立歩行のできる利用者には二人に一人の職員が引率し、車椅子の人には一人ずつの職員がつきます。

 施設を出て緩やかな坂道を200メートルも下るとやがて公園の木々が見えてきました。公園は大方の木々は葉を落として、未だ冬のたたずまいです。私は車椅子のSさんに後ろから声をかけました。
「まだ冬の景色ですね。この前こうして散歩に来たのは秋の終わりの頃でしたね。公園の木々も毎年律儀に葉を落として、春には又新しい葉の支度をするなんて、驚くばかりですね。」
「……」
「Sさん、このところ体調はいかがですか。しばらく寒い季節が続きますけれど、風邪などひかずに暖かくなるまで頑張りましょうね。」
「……」
 Sさんは私の声がけにも何も応えませんでしたので、私もしばらく黙ったまま暖かい冬の陽射しを受けて車椅子を押しました。今年の冬は暖冬と言っていいのでしょう。もう新しい年も明けてしばらく経ち立春を迎える候とはいえ、去年の今頃は、この公園の池にも氷が張っていたし、北国では大雪の便りが続いていたのに…。

「息子がねぇ…お正月をねぇ…一人でお雑煮をちゃんと作れたのかね…門松を立てたのかどうか心配でねぇ…」
 突然Sさんが話し始めました。自宅で一人暮らしをしている息子さんのことが気がかりなのでしょう。それを心配している言葉です。
 私たちも当然Sさんの家族背景については情報を共有しています。Sさんはご主人は10年ほど前に亡くなりました。その後精神障害をもつ息子さんと一緒に生活していましたが、Sさんの徘徊が激しくなりパトカーで何度も保護されるようになって、この特養に入所したのでした。そして息子さん一人が家に残されたのですが、50歳を過ぎた息子さんは障害も軽度で何とか食事や身の回りのことは自立できているそうです。でも息子さんは滅多に母親のところに顔をみせたことはなく、私がここに勤務してから一度も彼の顔を見たことはありません。その息子さんのことが、やはり気がかりなのでしょう。息子さんの情報は、福祉事務所経由で、この施設にも情報が届いています。

「ここに来て一緒に暮らせば良いのにと私は言っているのにさぁ、息子はイヤなのかねぇ、何も無理して一人で暮らすことはないんだよ。一人だけのお正月なんて淋しかっただろう、私が帰ってやってもよかったんだけれどね…。お正月にはちゃんと門松を立てたんだろうね、そうしなくちゃご近所にも笑われちゃうよ…。」
「ここでは息子さんと一緒に生活するのはちょっと難しいですよ。それに息子さんも元気でやっているようですから、Sさんは安心してここで療養されたらどうですか。それにお正月だからといって、門松なぞ立てなくたっていいじゃありませんか。」
「元気でいるって…そうかね、元気なのかね。たまにはここに顔くらい見せてもいいのにね、アタシの顔なぞ見たくないのかね。少しも顔を見せないんだから…。」
「息子さんも忙しいのじゃないですか。仕事もされているのでしょう?」
「仕事っていったって…病気だからね。毎日行っているわけじゃないよ。」
「でも息子さんだって懸命に一人で生活しようとしておられるに違いありませんよ。」
「……」
 
 たった二人だけの親子が、お互いの病気のために別の暮らしをしなければならないのは哀しいことですが、Sさんの場合は他の選択肢はなさそうです。Sさんも認知症の進行がこのところ激しく、数か月前に自宅に一時帰宅を試みたことがあったのですが、帰宅直後から息子さんとは争いが絶えなかったので、そのまま施設に戻ってきたそうです。ですから一時帰宅もままならないのですが、それでもSさんは時にこのように子をおもんばかる気持を表現するのです。哀れさに胸が詰まります。認知症という病気ではあっても、時にこのように覚醒することもあり、親子の情愛を表現したりすることはしばしば私も経験します。やはり人間、捨てたものじゃありません。

 Sさんとこんな会話をしているうちに、今日の散歩グループは公園に到着しました。公園の池では、幼鳥を引き連れた水鳥の群れが向こう岸めがけて泳いでいきました。


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この足で立ちて逢いたや咲くやこの花


 きわめて親しい友人の死以来、しばらく元気が出ませんでしたので、家族とドライブに出かけ温泉に浸かってきました。道すがら冴えた冬の空からのぞむ八ヶ岳は見事でした。
 今日の新聞記事で、懐かしい人のインタビュー記事を見ました。野坂昭如氏です。76歳になられたそうです。脳梗塞で倒れて4年、今はリハビリと散歩に励む日々だそうです。リハビリ医療保険適用日数が原則180日に制限された結果、野坂氏も週3回のリハビリが週1回に減らされ、在宅訪問リハビリと組合さざるを得なくなったといいます。弱い患者は「お上と病院の外で苦しんで」おり、医療費削減のことしか頭にない政府の姿勢を変えさせるためには「少し酷な言い方になるかもしれないが、患者が…どんどん危惧することがプラスに作用することもある」と言っています。彼の世相診断や警世家としての冴えは健在、とインタビューアーは書いています。彼の作品や鋭い批評に刺激されて育った私は、世相や人間を変わらず怜悧に見ている彼が健在なことに大いに励まされ、何故か身体が温かくなるのを感じました。エリオット“老人は探検者になるべきだ”の言葉を再び思い起こしました。
 リハビリ医療費にせよ、障害をもった人たちに対する自立支援法に基づく自己負担にせよ、この国の政府の責任者や高級官僚は、毎年数兆円にものぼる官僚の天下り先に対する補助金や交付金等を廃止してから、そうした国の施策に手をつけるべきです。不見識極まりない輩にこの国を委ねざるを得ないことに、やりようのない怒りを覚えます。野坂氏も同様な感慨を抱いているのではないでしょうか。
 今日は【早起翁】氏からの投稿です。しばらく原稿を寝かせていて相すみませんでした。
☆☆☆
 Nさんは78歳の男性、サラリーマンを定年後10年ほどたった頃にパーキンソン病と診断され、加療が続いてきました。“この病気は中脳の病変が原因とされドパミンが減少する脳の変性疾患の代表とされる。多くは50~60歳代に発症し、動作緩慢、寡動、姿勢不安定、振戦、筋固縮等を主症状に、徐々に進行する病気とされている。言葉は単調、低い声で、立つと前屈姿勢、足の踏み出しが困難で、いったん歩き出すと前のめりとなり早足となって止まらない、身体を押すと倒れやすいという病気の特徴がある。”(看護学大辞典第五版)。この病気も近年は良好な治療薬が出ており症状の顕著な改善がみられるようになってきたそうです。Nさんも最近は症状の進行がおさまり、以前に比較して生活不都合が少なくはなったそうですが、完治したわけではなく依然としてこの病気の症状に苦しめられています。Nさんは同じ年の奥さんと二人暮らし、子どもさんたちは独立しています。

 今日も日課となった近所の公園への散歩に車椅子で出かけました。どうしても運動不足となりがちで、部屋に閉じこもりっきりの生活はストレスが溜まります。主治医からも気分転換のためにも外に出かけることを勧められています。但し陽気のいい日和を選んでのことですが。
 今年の冬は例年になく暖かい日が続き、このところNさんの訪問の際には公園の散歩が毎回可能な日が続きました。今日もまるで春が来たかのような暖かい日和に恵まれました。

 私が車椅子を押してNさんと公園の土の道をゆっくりと歩いていると、自ずから最近の新聞記事の話題などに二人の話が及んでいきます。Nさんは特に時事的な話題、特に政治に関する話題に強い関心をもっていて、おおよそがそうした話題に終始します。今日は厚生労働大臣の“女性は産む機械”発言について話が及び、この大臣の根底にある心理的な機制について分析した話を私に聞かせてくれました。「彼は頭脳明晰なれど人間としての思想なし…だろうな」とNさんは断言していました。私も同感です。人間の言葉というものは、その人の裡にあるものが表現されるものですから、この厚労大臣には権力欲と世渡りの巧みさ、金銭に対する執着こそあれ、社会的弱者に対する共感などは皆無なのでしょうか。

「チョット、チョット…ここで止まってください、ボクは歩きますよ。」突然Nさんから私に声が掛かりましたので、厚労大臣の発言を考えていた私は我にかえりました。私は車椅子を止めました。
「ほら、あんなに白梅が咲き始めたよ、香りがするものでどこに梅が咲いているか探していたんだが、あんなところに咲いている。歩いて梅の花を見たいんだ。」
 Nさんの指差す先に、私も全く気づかなかったのですが、大きな木の影のようになったところに白い花がちらほら咲いているのが見えました。私は、Nさんがリハビリ靴がしっかり装着してあることを確かめると、Nさんの腕と肩を支え車椅子から立たせました。Nさんは大きく伸びをするようにして立ち上がり深呼吸をしました。まるで白梅の香を胸に吸い込むように。

「何と詠んだかな、思いだせないんだが…咲くやこの花…古今和歌集にあった歌…」梅の香が静かに感じられる花のそばまで歩いていって、Nさんは花を見上げながらそうつぶやいています。歌が浮かんでこない様子です。私は車椅子をNさんの側に置いて、Nさんが転倒しないように、崩れ折れても身体を支えられるように両手を差し出しながら、Nさんの側に一緒に立ちました。
「そうだ…難波津に…だったなぁー…いい歌なんだ、好きな歌なんだが…このところは物忘れが激しくていかんなぁー。」
 Nさんはしばし白梅の下でそんなことを独りつぶやいていました。清潔で爽やかにひっそりと咲いている白梅の下を自分の足で行ったり来たりして、Nさんはとても満足した様子でした。

 再びNさんを車椅子に乗せ、公園の周回道を周り始めてしばらく経ったころ、Nさんは私をいきなり振り向き、こう言いました。
「思い出しましたよ、ようやく…こうですよ。 《難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花》 渡来した王仁の詠んだ歌ですよ。古今和歌集の仮名序ですよ。厳しい冬の寒さがようやく過ぎて、そっと咲きはじめた梅の花を見たときの心の中の喜びを歌ったのでしょう、ようやく春がくるという喜びの。思い出せてよかった…。」
 私も我がことのように嬉しくなりました。春を思わせる陽射しの中で、Nさんもとても嬉しそうでした。


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逝きし友よ汝が妻の闇明けやらず


 過日私の高等学校以来の親しい友人が亡くなりました。長いこと糖尿病と不整脈で通院していたらしいのですが、死は突然で衝撃でした。62歳の死でした。それからというもののしばらく私も何をする意欲も無く、いささかウツ状態が続いておりました。このような状態では、日記を記したり作句する意欲も起こらず、このブログの管理者としても投稿する意欲も沸かず、空をみつめている日々が続きました。
 気晴らしに海を見てきました。釣り人が一人釣り糸を垂らしている姿を見ていて、亡くなった彼を含めた友人たちと高校を卒業直後テントをかついで伊豆の海を巡った貧乏旅行を思い出していました。金がないので、キャンプ先の海では必ず釣りをして、釣ったカワハギやキス、サバなどを夕食のおかずにしました。釣れないときには夜まで釣りを続けたものでした。それから四十年余、はるばると遠くに来たものだと思いつつ、彼の突然の非在に涙が止まりませんでした。

 彼の死は私にとって大きな衝撃だったのですが、それよりも彼の夫人の痛手はより大きなものだったと思います。実は彼から昨年暮れに喪中の葉書が届いていました。それには嫁いだ彼の長女が昨年2月に亡くなったことが記されていました。彼の長女は三十歳台前半だったそうですが、幼い子どもを残して逝かれたのでした。嫁いだとはいえ、かけがえのない家族。その長女の死から1年もしないうちに自分の夫を喪った夫人の悲嘆の深さは、はかりしれないものです。憔悴しきった彼女の姿をみて、私は慰めの言葉もかけられませんでした。

 リン・ケインというアメリカの女性が『未亡人』(曽野綾子他訳・文藝春秋)という本を書いています。私の手許の本は奥付が「1976年2月4刷」となっていますから、古い本なのですが、この本は愛する夫を喪った直後からの妻の心の動きを描写していて秀逸です。本の古さは問題ではありません。私がかつて執筆した『死への準備教育のための120冊』(A.デーケン・梅原優毅著、吾妻書房、1993)でこの本を取り上げていますが、その妻の心理の動きをあらためて要約してみたいと思います。

《弁護士のマーチン・J・ケインは50歳で癌で死亡する。妻リン・ケインは二人の子どもとともに“未亡人”(今では古い表現ですが)として残された。深い愛情で結ばれていた夫の死の直後彼女は肺炎に罹るのだが、それが治癒すると直ちに“ぼろぼろの新しい人生”に踏み出す。慰めの手紙も300通ほどもらうのだが、それらの多くは“私が…、自分が…”のオンパレードで、遺族への慰めでも何でもないことに気づく。彼女は慰めの手紙というものは、“生きることに傷ついた人に愛に満ちた心遣いを示し、少しのユーモア、ほめ言葉、聡明さ”を表現すべきだと記している。
 夫の死後悲しみの第一段階を経験する。これはショックで感覚が麻痺するもので、体も感情も固いままロボットのように振舞う時期であった。しかし恐ろしいことは、その麻痺の段階の次に来た。身体に悲しみが詰まっていて、“本当の孤独”に直面した。経済状態への不安から一度しか会ったことのない政治家に手紙で50万ドルの借金を依頼したり、昔の恋人に電話で慰めを求めたり、車もないのに郊外の一戸建てに引っ越したりした。彼女はこの時期は“気違いじみた時期”であったと振り返っている。そして次に経験したのは、あらゆる者―友人や子ども、自分自身ばかりでなく死んだ夫・マーチンへの“激しい怒り”の時期を経験した。ここからの脱出法は、重々しい沈黙から言葉を吐き出すこと、そしてそれを受け止める人間の存在であった。》

 私の友人の死は、遺された彼の夫人にとってはどのようなものなのか、それをいかほど私は今理解できているのでしょうか。愛情の絆で結ばれていない夫婦ならいざ知らず、伴侶の死というものは深い愛情で深く結ばれていた夫婦ほど痛手は深く、時間の神様が降りてくるのは遅く、遠い先の事柄なのです。そう私は考えます。彼女にとって、これからやってくる夜の長さ、気晴らしの探し出せない一日、街中で陽気に振舞う人間たちへの恨み、動きを止めたTVドラマや新聞記事…無感動の苦しい日々が続くと思われます。
 悲嘆(グリーフ)ケアは、一人ひとり異なります。彼女の吐く“言葉を聴き受け止める”人間は必ず必要です。そして私たち友人も、彼女に“心遣いを示し、少しのユーモア、ほめ言葉、聡明さ”をどれほど表現できるのか、胸に手を当てて考えてみたいと思います。


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相性も合わねば今日も謗り合う


 公園のメタセコイアの木です。寒風に耐えて屹立している様は凛としてなかなか見事です。
 今日も冬の風を避けて陽だまりのベンチで一服していたら、散歩していた一人のお年寄りから声を掛けられました。そのお年寄りは大正六年の生まれですから今年90歳。最近行政の人から声をかけられてデイサービスに誘われ、一度近くの施設を訪問したそうですが、知人も居らず“役所を退職した年寄りばかりで世間が狭く話すこともない”ので早々に退散してきたそうです。この意気揚々とした90歳の人の話に私は喝采をしたいくらいでした。しばらく色々な話で盛り上がりましたが、このお年寄りから今の日本の政治や日本人の生活態度に対する的確な厳しい苦言を聞きました。その批判精神の旺盛さに感服しました。彼の夫人も85歳で元気に二人暮らしを楽しんでいるそうです。こんなお年寄りは珍しいのかもしれませんが、うらやましく思うと同時に、その心意気には感動。ふと“老人は探検者になるべきだ 現世の場所は問題ではない われわれは静かに静かに動き始めなければならない”という大江健三郎の本で引用されていたエリオットの言葉が浮かびました。見ず知らずのこのお年寄りに別れ際「お元気で、又お会いしましょう!」と言うと、「あなたもお元気で!」と元気な返事をもらいました。いい一日でした。
 さて今日は【北旅人】氏からの投稿ですが、彼も腰痛に耐えながら頑張っています。
☆☆☆
「また食卓を汚しやがって、早くきれいに拭いておくれよ、いつもいつもアンタはここいらを汚すんだから。汚いったらありゃしない、みんなが使うんだから早く拭いておくれよ!」とHさん。Sさんが言い返します。
「何言ってるんだい、アンタだってあちこち汚すくせに。人のことをよく言えたもんだよ。アタシのは汚れたんじゃないのさ。少しこぼしただけじゃないの。それをあーだこうだ言うもんじゃないよ。大体が偉そうにそんな所に座って威張ってばかりいてさ、何様だと思ってるのかねー。」
「フン、そう言うアンタもボケたからそんなにもだらしなくなるんだよ、こういう所ではみんなが使うんだから汚すなって言っているんだよ。早くボケを治さなくっちゃねー。」
「そう言うアンタだって結構なボケのくせに、人のことを言う前に、自分のボケをT先生に早く治してもらったらどうかね。」

「何だとぉー!」と叫んでHさんは立ち上がり、座っていた椅子の座布団を引きはがし投げようとしますが、紐でくくりつけられているので、椅子が座布団ごと大きな音を立てて倒れました。部屋中に大きな音が響きわたりました。Sさんが大声で叫びます。
「ほーれ、すぐ怒るのがアンタの欠点なんだ。一緒に仲良く出来ないのかねー。」

 私と職員の一人が二人の口論の間に立ちふさがりました。HさんもSさんも立ち上がって、顔を真っ赤にして仁王立ちで食卓を間にして向き合っています。
「さぁ、さぁ、二人とも仲直りしてくださいよ、こんな狭いところで言い合いなどしないでくださいよ! 何があったのか分かりませんが、皆さんが一緒に生活する場所なんですからね。」
 こう職員が言うと、Hさんが切り出しました。
「私は食卓をきれいにしたら、って言っただけなのに、ボケだ何だと言うんですよ、あの人は!」こう言うとSさんが直ちに応じます。
「よく言うよ、先にボケだと叫んだのはアンタじゃないか。すぐにこうして喧嘩を吹っかけるのが悪いクセだよ、アンタの。」
「何だとぉー!」Hさんはこう叫ぶと、右手の拳を振り上げました。今度は私がHさんの身体を押さえて、右手を下ろさせました。Hさんは興奮して息も荒くなっています。
「ホラホラ、まるで仁王様みだいだよ! そんなにカッカするものじゃないよ。皆が笑っているじゃないのさー。」

 HさんもSさんも認知症の症状はかなり進行しています。普段からこの二人は仲たがいしている風で、ちょっとしたことを契機にして、しばしばこのような“喧嘩”が始まるのです。お互いに“相手の存在を気にかけながらも相手を認めたくない”というか“相性の悪い”様子なのです。そうしたことは私たちの普段の生活の中にもありますが、認知症のお年寄りの場合には、それがこんな形で顕在化し表現されることがしばしばあります。

 私はふと思いついて、Hさんの身体と右手を押さえていた手を離し、Hさんを庭の散歩に誘いました。何も返事は返さなかったのですが、Hさんは私に同意したのでしょうか、部屋の出口に向かって歩き始めました。この場はSさんとHさんとは離した方がいいと考えたからです。緊張感が募ったときには、異なった雰囲気に誘って「気晴らし」をすればいいのです。
 庭には、入所者の家族が寄贈してくれた数脚の木製のベンチが木陰に置かれています。ベンチには寄贈者の名前と年月日、それと記念の一言が刻印された金属のプレートが貼られています。その一つにHさんと座り、私はHさんの顔をのぞきこんで話しかけ、Hさんの話を聞いてあげようと考えました。

「Hさん、もうすぐ大寒というのに、随分暖かな日よりですね。まるで冬がやってこないで、いきなり春になってしまいそうですね。」
 こう私が話しかけると、Hさんが口を開きました。少し息ぎれもおさまった様子です。
「私はね、別にねー…皆と仲良くしたいと思っているんですよ。なのにあの人は…。でもね、皆一緒の屋根の下で暮らしているんですからね…、ワタシも注意しているんだけれどね。…本当に今年の冬はどうなっちゃっているのかしらねー、ついこの間も季節はずれのタンポポと菜花がここの庭の隅に咲いていたっけねー。ホラあすこですよ。」
 Hさんの指差す庭の隅の方を目で追いましたが、そこには枯葉がパラパラと見えるだけです。私は春の花のことには触れずにHさんの肩を軽くたたき、声がけしました。
「寒さももう少しですね、春になって温かくなったら、またK公園に皆さんで一緒に昼食会にでかけましょうよ。」
「そうですねー、よろしくお願いしますよ。ワタシもこうして身体も健康ですから、またお友達の車椅子を押すのをお手伝いしますよ。」

 冬の空からは寒気が降りてきましたので、私たちは再びデイルームに戻りましたが、HさんもSさんも顔を合わせてもお互い何食わぬ表情で、先ほどまでの喧嘩が嘘のようでした。すっかりお二人は忘れているのでしょうか、そう願うばかりです。


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刃物もて子に向かいし母哀し


 今年になって初めて近所の公園の池めぐりをしました。穏やかな日差しの午後で歩いていると汗ばむほどでしたが、やはり公園は冬の気配、散歩するお年寄りも少なく閑散としていました。その公園の一本の木の根元で見かけたのは何でしょう、キノコの一種なのでしょうか。カエデの葉が艶かしいそこに一葉。
 今日は【早起翁】氏からの報告です。お年寄りに限らず、利用者をより深く理解するには我々もより一層の学習が必要だと思います。
☆☆☆
 当デイケアセンターのケアリーダーであるケアマネージャーから、訪問している83歳のTさんの件で担当の我々に報告がありました。その内容は、一人暮らしをしているTさんの息子さんからの訴えがあり、ある日久しぶりにTさんを訪ねたところ、どうも情緒が不穏な気配に気づいたそうです。Tさんは要介護3で、軽い認知症があるものの週4日の訪問介護の助けを借りて一人暮らしを続けていたのですが、ここ数日は気になる気配を察し、会社勤めの息子さんが仕事を終えてから一緒に夜は寝泊りをしていたのです。ところが、ある日夕食も終わり就寝してからしばらく経った頃に、隣の布団に寝ていた母親のTさんがいきなり立ち上がり、台所へ立つと、包丁を持ってきて、息子さんに包丁を突きつけ、「アンタはあの女と出来ているんだろう! 早く別れるんだ。別れないならこれで刺してやる!」と言ったのだそうです。

 息子さんは、何が起こったのか混乱してしまったのですが、この際はとりあえず包丁を取り上げて母親をなだめところ、素直に聞き入れたのだそうです。そして布団に入り寝入ってしまったとのこと。息子さんは、女と出来ている云々に思い当たることもなく、母親から包丁を突きつけられたことがショックで、それ以来一緒に寝泊りしていても、気になって眠れない日々が続いているそうです。その包丁事件は一度だけで収まっているそうですが、息子さんからは施設入所を検討して欲しいとの要望が出されました。

 このような状況でケアリーダーも一度Tさんを訪問したそうですが、やや以前と比較して衰えた様子はあるものの、しばらくは様子を見て、施設入所の検討に入りたいとのことでした。したがって、訪問ヘルパーとしても、そんな「事件」のあったことを認識してケアにあたってほしいとのことでした。
 その報告の翌日、私はTさんの訪問日にあたっていました。私が瀟洒な広い庭のあるTさんのお宅を訪問し、玄関を入ると、いつものようにニコニコと私を出迎えてくれました。少し歩くのが不自由ですが、何とか身の回りの最低限のことは自立できていますので独居が可能なのですが、「包丁事件」のようなことがあると、認知症が進行したものと判断すべきなのでしょうか。しかし、この日のTさんは、格別以前と変わったこともなく、一緒にリハビリ体操を行い、私に色々と話しかけてくれました。事件が嘘のような印象をもちました。Tさんのことをどのように考えればいいのか迷いました。

 私はこの日のTさんの訪問を終えてセンターに帰り、ケアリーダーに格別の異常を感じなかったことを報告しましたが、ちょうどこの日は顧問医師が来所していたので、一緒に顧問医師に意見を求めることにしました。
 
 顧問医師の話の要点です。
《直接利用者を診察していないので結論じみたことは言えないが、Tさんの場合は認知症の進行というよりも、精神障害のひとつの妄想症も考えられる。

 妄想の多くは被害妄想で、自分が居ない時人が家に入り金を盗まれた、ご飯に毒が入っている、といった訴えが特徴である。息子さんへの包丁云々もこの流れで理解できないこともない。この妄想症は一人暮らしの女性に多い。妄想症の人は猜疑心の強い性格特性があり、猜疑心の故に周囲との人間関係が悪くなり、これが猜疑心を強めるといった悪循環のなかで妄想症がつくられる。

 こうした人は家族内でも人間関係に軋轢が多くなり、離婚、離別、子との別居といった関係になり結果的に一人暮らしになるケースが多い。一人暮らしをすることで自己防衛的になり妄想症を強めることになる。また視力、聴力が低下した高齢者では妄想症が一層強くなる。妄想症の人は、周囲が悪く自分が被害者と思っており孤立による不安が強く、一方では誰かに依存したいと思っている。
 
 妄想症の人に対しては威圧的な説得は逆効果であり、話や訴えに耳を傾けることで人間関係を確立しながら、「そうではないかもしれませんよ」「私はそうは思いません」と婉曲に否定してみるのも方法である。しかしそれでも周囲とのトラブルが絶えない場合は、精神科への入院も検討すべきだろう。Tさんの場合も、息子さんに一度専門医への受診を勧めてみたらどうか。》

 このような顧問医師のコメントでした。ケアリーダーは、早速息子さんと連絡をとりました。そしてその後の母親との関係について話を聞き、顧問医師の間接的なコメントを伝えて、精神科専門医への受診を勧めました。電話口の向こうで息子さんは、母親が自分に向けて包丁を向けてきたことにあらためて衝撃を受けたことを語り、その後は包丁事件は起きていないものの、自分が母親と夜一緒になるときには、そっと包丁を手の届かないところに隠していると言っていたそうです。そして早速専門医の診察を受けさせるようにする、と確約しました。

 我々ヘルパーも、利用者の異変や気になる変化があった場合には、抱え込まずにケアマネージャーや専門家の医師に必ず報告し、適切な判断を乞い、望ましい方向付けをしてもらうことが大事だとあらためて考えさせられた事例です。


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嫁からの三下り半もあるぞ世の男


 花屋の店先だけはすっかり春の気配です。ところでついこの間まで雪不足で営業のできないスキー場が多かったようですが、このところの寒波で雪が降ってホッとしている人も多いことでしょう。美しい雪景色の映像も毎日見られます。ところが雪国育ちの妻は、こうした景色を見て深い溜息をつきます。雪国の辛い毎日の生活を思い出すからだそうです。たかが雪されど雪。
 さて本年2回目の投稿は【星千里】氏から、我々男たちには身につまされる話です。嫁さんあっての生活だということを、胸に手を当てて今日もよく考えてみよう、男たちよ!
☆☆☆
 デイサービスに一日おきに通うMさんは72歳、1年ほど前に自宅で脳梗塞で倒れているところを集金に来た新聞販売店の人に発見されたのが幸いして、軽い後遺症で済んだのでした。Mさんは5年ほど前に離婚してからの一人暮らしが続いていたのです。身体に麻痺が残りましたが、病院でのリハビリが効を奏して杖歩行で自立できるまでに回復しました。デイサービスの日には、今でも運動療法室でのリハビリ運動が続いています。
 今日もMさんの午前のリハビリ運動が終わりました。Mさんはびっしょり汗をかきましたので、風呂の更衣室で下着の着替えを済ませ、私が冷たい麦茶をMさんのところに持って行きました。麦茶を気持良さそうに飲み終わると、Mさんは私に話しかけました。

「アンタもよくよく注意したらいいよ。だってオレの友達だって誰も信じられないって言うんだ。何十年も連れ添ってきた嫁さんが、定年を過ぎて子どもたちも全て片付いて、これからゆっくりのんびりやろうって言う時にだよ、いきなり「別れる」って言うんだから。初めは冗談が始まったなーと取り合わなかったんだが、どうやら本気だということが分かってきた。そうこうしているうちに、自分にも財産の取り分がある筈だから寄越せ、とこう来たもんだ。テキは長女で田舎の実家が空き家になっているものだからそこで暮らしたい、オレと一緒の墓に入るのはイヤだ、別れるの一点張りよ。ホトホトオレが惨めになったよ。女房がそんなことを考えていたとは考えもしなかった。家庭裁判所でどうこうもイヤだから、退職金などの一部を渡して、バイバイということになった。あっさりしたもんだ。
 子どもたちは独立しているけれど、このオレにはそうなると冷淡なもんだ。嫁さんには味方するが、オレのことなぞそっぽを向いているよ。親子なんてそんなものかな。…」
 
 こう一気に話し始めたMさんに、私はどう答えていいものか黙っていました。
「だからアンタも気をつけたほうがいいよって言いたかったのさ、オレみたいになるかも知れないからなー。離婚してからというものの、何とか一人暮らしの生活を続けて来たが、倒れてからは何とも不自由な毎日だよ。」
 そう言うMさんに私は聞き返しました。
「Mさんも、倒れてからは子どもさんたちだって心配しているのでしょう、時には訪ねては来られないのですか?」
「長女から何度か電話があったきりだよ、電話だけだよ! もう一人の息子からは何も連絡も無しさ。もちろん当のヤツからは電話もない、別れたんだから当然か。でもなぁ淋しいもんだぜー、身体がままならないというのに、一人だけっていうのは。身寄りもいるっていうのに、このザマだよ。」

「でもそのようになってしまったからには、今の現実から再スタートしなければ…」
「再スタートと言ったところで、新しい嫁さんが来るわけじゃなし、又仕事をバリバリやってゼニ稼ぎできるっていうわけでもなし、このままクタバッていくのがオチだろうよ。」
 Mさんは投げやりな言葉を吐いて肩を落としています。
「Mさんは何か趣味を持っておられますか?」
釣りが好きでねぇ、今でもこの身体を気遣ってくれる友達がいてねー、お互いヒマなものだから時々車で迎えに来てくれて、杖をもって釣りに行くんだ。昔みたいに遠出はできないが、ごく近くの池や釣堀、川といった所かな。ついこの間も池でこれほどの鯉を釣ったよ。家にもって帰っても仕様がないからリリースしたけれどね。」
 こう言って両手の指で鯉の寸法を示しています。
「釣りですか、いい趣味ですね。」

「でもなぁ、考えてみれば昔からオレは趣味で釣りに狂ったようなところがあって、釣竿には金をかけるし、休みの日には決まって釣りさ。子どもたちや女房を放りだして釣りばかりしていた。長いことそんな生活をしていた。考えてみると、それが災いして女房にも逃げられ、子どもたちには無視されたと言えるかもしれないな。オレとしては心の中では母ちゃんや子どもたちを愛していたんだがな、その気持は釣りばかりしていると通じなかったんだろうな。人間というのは難しいもんだよ。」
「じゃあ、いっそのこと若い女性でも釣り上げたらどうですか?」
 こう私が冗談を言うと、へッヘッヘッとMさんは笑いました。
「これまで釣り・釣りで来たんだから、最後まで釣りして人生を終わるっていうのも、いいかも知れないなー。だが…若い女性じゃなくてもいいから、もしそんな人がいたら今度はオレはきっぱり釣りは止めるよ、ハハハ…。」
 でもMさんの笑いは淋しそうでした。


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